意識的に子供向け「入門書」や「翻案」を出さないとジャンルの将来が危うい?SFやミステリの盛衰で考える ~芦辺拓氏のツイートを中心に

 最近のミステリーやSFにはさほど詳しくはないが、そんな私でさえも間違いとわかる発言が盛りだくさんであった。


 もちろん、自然発生するのだ。

 その「週刊少年サンデー」の公式サイトのトップページには、「名探偵コナン」のバナーがいくつも踊っている。芦辺氏がハネられるずっと前に、青山剛昌氏は少年向けのミステリー企画を通し、そしてその企画はずっと受け入れ続けられているのだ。

 なお、「すでに『名探偵コナン』がミステリーの入門書になっている」という指摘は、コメント欄に数多く存在する。




 コナンだけではない。「相棒」「科捜研の女」などの推理ドラマは高い人気を博しており、毎年のように新シリーズが製作されている。また、小規模書店は言うまでもなく、コンビニやキヨスクでも最新の推理小説を買うことができる。むしろ、現代日本で生活していて、全くミステリーに触れずにいる方が難しいだろう。そして、このような環境があれば、一定数の次世代のミステリー読者は、当然自然発生する。
 一体、衰退しているミステリーというのは何を指しているのだろうか?


 ホームズかい! 名作ではあるが、いかにせん子供には取っつきづらい。ミステリーの入り口としてふさわしいとは思えない。
 実際、私も小学生の頃に児童向けの「シャーロック・ホームズの冒険」を読んだが、その時はさほど面白いと思えず、古典ミステリーファンへの道を歩もうとは思わなかった。同じ推理小説なら、親の本棚にあった十津川警部シリーズの方がずっと面白いと感じた。

 結局、芦辺氏が意識しているのは「古いミステリー」なのだ。後に出てくるSFにしても、芦辺氏の念頭にあるのは「古いSF」なのだ。
 だが、そもそも、わざわざ好き好んで古い娯楽作品に手を出そうなどというのは、マニア・おたくの類だ。ジャンルの衰退を防ぐには、面白い新作で非マニアの受け手を増やす方が重要である。そして、その方法はとっくに成功し、多くの非マニア読者・視聴者の心をつかんでいる。ミステリーやSFの将来を心配する必要など、何もないのだ。




 すでに漫画、アニメ、ドラマ、童話、ラノベなどが現代SF最前線のセンス・オブ・ワンダーを伝えている中で、なぜ児童向け叢書(しかも「現代SF最前線」とは正反対の古典中心)が必要なのか。既存の漫画やアニメやドラマや童話やラノベで充分ではないか!



 それはもちろん、好き好んで古い作品を読もうというのは、初心者や一見さんより、むしろマニアだからである。マニアのためのものなのだから、「困難を乗り越えたものだけが来ればいい」のは当たり前だ。




 時は1993年。Jリーグが開幕し、世は空前のサッカーブーム。もちろん少年たちもサッカーに夢中。男の子の野球熱など、遠い昔の話となっていた。
 あれから四半世紀、「将来への種まきを怠った」という日本の野球の人気はどうなったかといえば、別段弱まっている気配はない。この四半世紀にも、大谷翔平選手清宮幸太郎選手などの若いスターが生まれ続けている。

 老若男女が街頭テレビの前に黒山の人だかりを作った時代とは違い、今は娯楽の数も種類も非常に多い。皆が皆同じものに熱狂した時代に比べたら、盛り上がりが薄く見えるのも仕方のないことだ。そして、それでも何の問題もないのだ。


 どこが?
 2016年のリオデジャネイロオリンピック閉会式の引き継ぎセレモニーでは、ドラえもんやハローキティなどの子供向けキャラクターの映像が映し出されていた。おまけに、総理大臣が子供向けゲームのキャラに扮していた[1]
 このように、日本の子供向け文化は、「クールジャパン」の名の下、今や国を挙げて宣伝されるものとなっているのだ。手抜きどころか、その対極だ。大人向け文化の劣化コピーではないだけだ。

 ということで、まとめ本文の「現代日本ではミステリーやSFの人気は衰えている」という議論は、全く現実に即していないのである。

 そもそも、「ミステリーやSFが衰退していなかった」時代というのは本当にあるのだろうか?
 例えば、1950年代には推理小説は大衆化しておらず、むしろ高級な読み物とされていたようだ[2]。また、1960~70年代には、ミステリーやSFのマーケットは小さく、少数の固定ファンによって支えられている状態だったという[3]
 つまり、ミステリーやSFは、福島正実が存命で児童向けSF叢書が出ていた時代よりも、今の方がずっと広く受け入れられていると言えるのだ。古典ミステリーや古典SFに夢中になった子供時代を懐かしむのも結構だが、それで事実認識を誤ってはいけない。


 私はBLには詳しくないのだが、そもそもそれは過去の名作を読み継いでいったりするようなジャンルなのか?

 さて、ミステリーやSF同様、異世界ファンタジーもゲームもあくまで現役の娯楽である。別に過去の名作を鑑賞して「お勉強」しなければ楽しめないようなものではない。「魔獣戦士ルナ・ヴァルガー」「ルナル・サーガ」はおろか、「ゲド戦記」「指輪物語」を知らなくても、現在書店に並んでいる異世界ファンタジーを楽しむことはできる。ゲームにしても、最新作を楽しむために、わざわざ「ドラクエ」「マリオ」を初期作から遊ぶ必要はない。






 繰り返すが、ミステリーもSFも、漫画、アニメ、ドラマ、童話、ラノベなどの形で新作が作られ、新たな年少ファンを獲得し続けている、現役の娯楽ジャンルだ。現役のジャンルなのだから、年配のファンが古い翻訳作品を与えて勉強させなくても、次世代のファンの育成に何も問題はないのである。




 本文を見る限り、まとめられている人たちには、「ミステリーやSFは『博物館行き』のジャンルであり、かつ、ファンになるための『壁』があるジャンルである」という認識があるように感じられる。

 だが、実際はSFやミステリーを好きになるための壁などはない。勉強すべき「基本」などもない。字が読めて、「フィクションを楽しむ」という概念を理解できるだけで充分だ。マニアを名乗ったり研究者になったりするのでもなければ、古典に手を出したり、ジャンルの歴史や概要を知ったりする必要はないのだ。




 そりゃ、タイムトラベルもののSFは120年以上の歴史があるのだ。その概念が一般に浸透していても何も不思議ではない。それこそ、目の前にある端末はSFなどよりずっと短い歴史しかないのだ。SFの概念が浸透していることに感動するのならば、コンピューターが普及していることにはもっと感動してしかるべきであろう。

 大体、gryphon氏自身、SMAPやキムタクを周知の存在とみなしているではないか! SMAPの結成はこの発言の29年前。木村拓哉氏の誕生でさえわずか45年前。120年以上の歴史を持つタイムトラベルものSFに比べたら、ごくごく新しい存在でしかない。さらに、SMAP解散騒動はこの発言のおよそ1年半前の出来事だ。タイムトラベルの知識が浸透していることに感動するなら、SMAP解散騒動の知識が浸透していることには、もっと感動しなければならない[4]


 さて、まとめ本文のようにSFを「古いもの」に限定するような発言は、コメント欄にもいくつか見られた。



 言うまでもなく、SFには、新しい作品もある。そして、ブラッドレー・ボンド、フィリップ・N・モーゼズ「ニンジャスレイヤー」にしろ、ピーター・トライアス「ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン」にしろ、作風も題材も現代の読者の感覚とマッチしている。



 繰り返すが、あくまで娯楽であるSFを古いものまでさかのぼって楽しむのは、マニア・おたくの類だ。マニアは意図的に育てるものではない。ついでに言えば、現在でも古い作品は売っているのだから、マニアが古いものに手を出すのに、別段大きな障害はない。



 S要素の希薄な「カードキャプターさくら」が星雲賞を受賞したり[5]、Fでないものが星雲賞や日本SF大賞の対象になったりするように[6] [7]、SF界隈では、SFはSである必要もFである必要もないのだ。極端に言えば、SFマニアは「自分の好きなもの」程度の意味で「SF」という言葉を使っているだけなのだ。だから、仮に「俺は寿司が好きだから、寿司はSFだ!」と言い出すSFマニアが現れたとしても、何ら驚くに値しない。こじつけようと思えばいくらでもこじつけられる。


[1] 安倍首相のマリオ姿を世界はどう報じたのか
[2] 「教養主義の没落」 竹内洋 中公新書
[3] 「出版翻訳ジャンル別ガイド 第1弾 ミステリ」(「通訳翻訳ジャーナル」2018年春号 イカロス出版)
[4] 明治時代のSFガジェット
[5] 星雲賞受賞作・参考候補作一覧1-48回|文学賞の世界
[6] 年次日本SF大会におけるSF賞選定に関する規定
[7] 第35回日本SF大賞エントリー募集要項