高校の教科書から坂本龍馬などの人物が消える?「賢明な判断」と肯定する人・「意味がわからない」と戸惑う人など


 小説やドラマなどのフィクションがきっかけで歴史に興味を持つ人は多い。2016年4月30日の記事にも書いたが、専門家やマニアでない多くの人の「歴史」についての知識やイメージは、教科書などより、むしろ作り話に影響を受けている。

 要するに、歴史好きといっても、その少なからぬ割合は、実は英雄物語のファンなのだ。
 一方、学校の歴史教科書では、英雄物語の題材として人気の高い事件や人物はあまり大きく取り上げられない。それは日本史であっても世界史であっても同じだ。例えば、川中島の戦いを取り上げている日本史Bの教科書は、19種中たった4種にすぎない[1]。また、「新世界史」(山川出版社 1998年文部省検定済)には、趙雲も諸葛亮も関羽も出てこない。それどころか、中国の三国時代自体がわずか半ページで片づけられている。

 それは当然だ。
 歴史教科書は、政治・経済・文化の変遷を総合的に記述したものである。大事なのは大枠であって、枝葉末節ではない。血沸き肉躍る英雄物語であっても、それが例えば戦争の勝敗に影響を及ぼさない一戦闘の話だったら、わざわざ教科書に載せる必要はない。戦争の勝敗という大枠を理解するのにあまり役立たないからだ。

 さて、高校と大学の教員で作る高大連携歴史教育研究会は、高校の歴史教科書の収録用語が増えすぎて、歴史が「暗記科目」となっていることに懸念を示し、昨年10月、歴史用語の精選案を発表した[2]。そして、その精選案に坂本龍馬、武田信玄、上杉謙信などの有名人の名前が含まれていないことがニュースとなり、賛否両論を呼んでいる。

 だが、教科書にほんのちょっと出てくるという、ただそれだけの理由で、歴史の大枠を理解するのにあまり役立たない人名を覚えさせられるのは、英雄物語を楽しむ大人ではない。世界史・日本史を履修する高校生だ。英雄物語ファンの生徒は楽しくても、そうでない生徒にとっては苦役でしかなく、かつ、それで得られるものも少ない。ならば、収録用語を見直そうという声が出るのもおかしなことではない。


 ゆとり教育で用語が増えすぎたので、詰めこみ教育時代の少なさに戻すのである。


 今の教科書ですらコンビの片割れとしてしか扱われていない人物が、「日本の歴史にとって一番の功労者」なわけないだろう!


 高校教科書をベースにした一般書である「新もういちど読む山川日本史」(五味文彦、鳥海靖 山川出版社)では、坂本龍馬は次のように記述されている。

しかし薩摩藩は翌年,土佐藩の坂本竜馬・中岡慎太郎らの仲介で薩長同盟をむすんで幕府の出兵命令に応じなかった。 (p. 236)

土佐藩の坂本竜馬・後藤象二郎らは,欧米列強と対抗するためには,天皇のもとに徳川氏・諸大名・藩士らが力をあわせて国内を改革する必要を強く感じた(公儀政体論)。彼らのはたらきかけで、前土佐藩主山内豊信(容堂)は,将軍慶喜に政権を朝廷に返上するよう進言した。 (p. 237)


 「一言」ではないが、特別重点的に記述されてもいない。しかも、中岡慎太郎や後藤象二郎とセットで扱われているせいで、余計に坂本龍馬個人の印象は薄くなる。


 精選案の中世カテゴリーに含まれる戦国大名は、氏族では毛利氏、長宗我部氏、北条氏、武田氏、今川氏、朝倉氏、島津氏、大友氏、伊達氏。個人では北条早雲のみ。近畿の大名は含まれていないし、関東も北条氏のみだ。





 先述の「新もういちど読む山川日本史」には、織田包囲網も信虎追放も甲相駿三国同盟も信玄堤も敵に塩を送るも甲府の奴隷市も載っていない。川中島の戦いについては書かれているが、本文では「上杉謙信は武田信玄としばしば戦った」という説明があるのみで、「川中島の戦い」という用語は出てこない。用語が出てくるのは、巻末の年表のみである。


 高校生は初学者ではない。






 そもそも、日本史Bという科目は、歴史に興味を持たせるために設けられているのではない。日本史について総合的に考察させるために設けられているのだ[3] [4]

 また、高大連携歴史教育研究会は、歴史系科目を「考える楽しみを味わえる科目」にすべきだと述べている[5]。だが、その「歴史系科目の楽しみ」というのは、チャンバラ芝居や英雄物語の楽しみのことではない。「現代的課題の歴史的背景を考える上で必要なもの」という原則に基づいて用語精選をおこなっているように、「社会を歴史的に考える」という学問の楽しみを意図しているのは明白である。

 言うまでもないが、学校では学問としての歴史を教えているのである。おたくを養成しているのではない。生徒が英雄物語のファンになることより、政治・経済・文化の変遷の大枠を把握することの方が大事なのである。
 娯楽から入って学問に興味を持つ人もいるが、誰もがそうというわけではない。少なくとも、英雄物語ファンの生徒に媚びるあまりに、そうでない生徒に無駄な苦労をさせる道理はない。



 これまでの教科書でも、武田信玄や上杉謙信の記述は決して多くはなかった。また、同じ日本史でも、近現代史中心の「日本史A」という科目もある。そもそも、1994年施行の学習指導要領以降、今に至るまで、日本史は必修ではない[6] [7]

 つまり、現行のカリキュラムも、人気戦国武将の出番の少なさ、それどころか、日本史自体の扱いの悪さは五十歩百歩なのだ。これまでのカリキュラムを問題視してこなかったくせに、戦国武将の削減に文句を言う筋合いなどないのだ。


 中世史でも、重要なのは、むしろ鎌倉時代や室町時代の政治・経済・文化の変遷であって、戦国の英雄の武勇伝ではない。


 日本史の多角的な知識というのは、過去の政治・経済・文化などについての全体的な理解のことであって、時代劇ヒーローのトリビアのことではない。そもそも、英雄物語は娯楽であっても教養ではない。だからこそ、これまでの教科書でも、英雄物語ファンに人気の事項はあまり大きく取り上げられてこなかったのだ。
 歴史教育で関心を持たれるべきなのは、あくまで現実に存在する世界だ。小説やドラマの中の架空世界ではないのだ。虚構で形成された怪しげな愛国心など、どぶに捨ててしまえ。


 実際、前にも書いた通り、教科書の影響力は小さい。教科書の内容など、大抵の人は卒業すれば忘れてしまうからだ。
 だが、そうだといっても、学校が「学問を教える場」であるという建前を放棄してはならない。歴史教科書に載せる事項は、歴史の大枠を理解し、社会を歴史的に考察するのに役立つものでなければならない。キャッチーな雑学や血沸き肉躍る英雄物語は二の次である。これまでの教科書はこの建前を守ってきた。そして、高大連携歴史教育研究会の精選案も、この建前から逸脱するものではなさそうだ。つまり、今回の精選案は歴史教育を何ら「悪く」するものとは言えないのだ。ならば、騒ぐほどのことではない。


(5月9日追記)
 最新の日本史・世界史の教科書を確認してみたが、英雄物語の少なさに変わりはなかった。坂本龍馬は中岡慎太郎とセットで一言出てくるだけだし、三国時代の分量も増えていない。


[1] 「改訂新版 日本史B用語集」 全国歴史教育研究協議会:編 山川出版社 2000年
[2] 高等学校教科書および大学入試における歴史系用語精選の提案(第一次)およびアンケート実施
[3] 高等学校学習指導要領
[4] 学習指導要領の日本史Bの箇所にも「歴史への関心」についての言及はあるが、それは原始・古代史の「歴史と資料」の項目であって、戦国や幕末の項目ではない。
[5] 当会提案の用語精選案とアンケートに関してよくあるご質問
[6] 高等学校の各学科に共通する教科・科目等及び標準単位数
[7] 学習指導要領データベース