DeNAのキュレーションサイトに数多くの問題があることが指摘され、記事の公開が停止されたのは、一昨年の秋から冬にかけてのこと。この騒動以降、「業者のSEOによる検索結果の汚染」の問題について論じる意見が注目されるようになった。

昔は「気になってる事」+「嘘(デマ、効果がないetcネガティヴワード)」で検索すると
いい事ばかり書いた情弱向け記事ではない、多少はそれっぽく調べたかのような記事がヒットしたりしていた。 
ところが、今の時代はこういうワードだとSEOで先回りされまくっていてノイズまみれだったりする。
並んでる記事の信憑性を記事の提供元や同じ情報がどれだけ支持されているか、で判断するのは正直難しいと思う。

今の時代情報強者になるのはとても難しいと思った話(ダイエット編 2018年1月

なんか昔はインターネットってもっと有用なかんじだと信じてたというか、個人の利害が関係ない情報をたくさん見れた気がするんだけどそういうのも幻想だったんだろうか。

アフィ死ねよ 2017年7月

“Google検索は、ありきたりの検索ワードしか入力しない人には、ありきたりの知識しか見せてくれない。だから、興味深い知識をゲットしたいなら、検索ワードを工夫しましょう”、という考えは4年前には妥当だったと思っています。



でも、2017年のGoogle検索は、当時以上に難しい状況になっているように思われます。

「知識を手に入れるための知識」がない人にとって、Google検索はあまりにも難しい。 2017年6月
 なお、冒頭で「DeNAの騒動以降」と述べたが、検索ノイズに対する苦情自体は、例えば以下に引用したもののように、目立たないながらもその前から存在した。

何か調べたいことがあってググると、キュレーションサイト(まとめサイト)がヒットしまくりますよね。
(中略)
5年前…いや3年前でも考えられなかったことだと思います。昔は個人ブログや観光地のお店のサイトなどがヒットしていましたよね。

それくらいキュレーションサイトは爆発的に成長してきました。

まとめサイトの"プロ"キュレーターをやってみた話 2016年6月

 また、ノイズレスサーチという、キュレーションサイトやバイラルメディア、質問サイト、通販サイトなどの、調べものの邪魔になるサイトを除外した検索エンジンがあるが、その誕生は2016年3月にさかのぼる[1]

 さて、これらの苦情には、前提となっている事柄が存在する。
 「昔の検索結果にはノイズが少なかった」、「昔は面白いサイトが多かった」……要するに、「昔はよかった」ということだ。

 では、本当に「昔はよかった」のか? そんなことはない。あまり騒がれなかっただけで、同様の苦情はもっと前から存在した。

ネットも、ブログという型ができて、誰もが簡単に見映えのよいページをこさえて情報発信できるようになった反面、誰に何を伝えたいんだろ? と、くびをひねってしまうブログも増えました。それ以前の“ホームページ”時代のほうが、作るのが面倒な分、見た目はあか抜けなくとも、本当に伝えたいことのある人だけが熱心に書いてておもしろかったような。

「パオロ・マッツァリーノの日本史漫談」 パオロ・マッツァリーノ 二見書房 2011年10月 p. 224

これはごく最近の状況で7~8年前とは様子が違います。以前はWebに溢れる情報は「ちゃんとプロバイダ契約してHP開設して有用な情報を発信しよう」という有志によって発信された情報が多かったので、かなり気合の入った記事が多かったと思います。
ですが、今は「ブログ」や「OKwebとその仲間達」「Twitterのつぶやきの一部」「このURLに解決策がありますよ、過去ログを検索しましょう(と言ってすでにデッドリンク)」という情報が溢れています。それだけ「検索ノイズ」が増えてきていると言う事が言えます。

ググれカスと言うか、ググった検索結果がカス 2011年3月

 2010年代後半の人が2010年代前半を懐かしむように、2010年代前半の人は、2000年代を理想化していたのだ。
 だが、私の知る限り、2000年代のインターネットとて、そんなに素晴らしいものではなかった。2ちゃんねる(1999年)、OKWAVE(2000年)、Yahoo!知恵袋(2004年)などは、2000年代前半の段階ですでに存在し、高いページランクを武器に検索結果に嘘を垂れ流していた。飽きてすぐに放置されたサイト、トップページしかないサイトなど、くだらないサイトはいくらでもあった。人名や書名で検索すれば、「好きな有名人」や「好きな本」が書かれたどこの馬の骨ともわからないサイト管理人のプロフィールがヒットした。

https://twitter.com/stdaux/status/909961106101231616

 前世紀どころか、2004年に発行された本でも同様の楽観論が唱えられている。

たとえずぶの素人でも、後でインターネットなどで調べれば多くの知識が得られる。そうすれば、その種の人がまさしく「知ったかぶり」でしかないことに気づくものだ。何でもすぐに知ることのできる時代においては、「知ったかぶり」のいい加減な知識は意味をなくしているのだ。
 知ったかぶりは、言ってみれば、落語の世界の古きよき時代の滑稽なひとつの行動になろうとしている。情報時代の現代に、「知ったかぶり」をしている人は、まさしく過去の愚かな遺物と言えるだろう。

「頭がいい人、悪い人の話し方」 樋口裕一 PHP新書 p. 75-76

 だが、前述のように、2004年の時点でも、インターネットには嘘やノイズが蔓延していた。「『知ったかぶり』のいい加減な知識は意味をなくしている」どころか、情報時代のシンボルたるインターネットこそが、知ったかぶりの巣窟となっていたのだ。

2000年頃のネットのソース至上主義が廃れたのは何でだと思いますか?
昔は慰安婦問題だとか南京大虐殺とか客観性の高いソースを出してたけど、
今は怪しい噂話程度の事やスレタイだけしか読まないで事実のように喋る人が増えたように感じます

Yahoo! 知恵袋 2013年10月

 廃れるも何も、ソース至上主義が主流だった時代など、元々なかった。
 例えば、ウィキペディアは、「検証可能性」、「独自研究は載せない」というソース至上主義的な方針を掲げている[2]。だが、これらの方針は最初から受け入れらていたわけではない。ウィキペディア日本語版の発足は2001年、急激な成長を見せたのは2003年だが[3]、「検証可能性」が正式な方針として採用されたのは2006年[4]、「独自研究は載せない」が採用されたのは2007年だ[5]。このように、ウィキペディアの登場とソース至上主義の採択との間には、少なからぬタイムラグがあった。実際、昔の記事やノートには、ソース至上主義どころか、その対極、エッセイまがいの記述や思いこみに基づいた議論も珍しくない。経験から言えば、むしろ、新しい記事の方がよくできていることが多い。
 また、前述の通り、掲示板や質問サイトは2000年頃から存在し、そこでは根拠不明の噂話が繰り広げられていた。実際、2000年の段階ですでに「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と言われていたくらいだ。


 結局、「昔のネットはよかった」というのは真っ赤な嘘だったのだ。


[1] ノイズレスサーチの更新履歴(今までの機能追加など)
[2] Wikipedia:方針とガイドラインの一覧
[3] ウィキペディア日本語版
[4] Wikipedia‐ノート:検証可能性/Archive01
[5] Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない/過去ログ5