「同性婚と同様に一夫多妻も認めろ」と結婚届が提出された…というニュースを受けての感想集

【同性婚認めたから「一夫多妻も認めろ」と結婚届提出 http://5.tvasahi.jp/000053981?a=news&b=ni】
実は以前からも、モルモン教の分派などが多いユタ州などで問題になったりしており、近親婚が禁止されている制度とならんで、この問題は(同性婚の許容の立場からは)知る人ぞ知る難問とされていました。
ですがこの前、米連邦裁判所で「同性婚禁止は違憲」とされたばかりのこの時期に、こういう訴えがあったことで以前とは違う、極めて大きな注目を浴びているようです。その問題への感想集をまとめました。

 元のニュースのページは消えているが、その本文は以下に転載されている。

 【悲報】「同性婚を認めるなら一夫多妻も認めろ」 変態婚を認めたことで広がるモラルハザード

 さて、2015年6月26日、アメリカ連邦最高裁判所は同性婚を認める判断を下したが、その際の裁判所命令の命令文が「美しい」と話題になった。

 人と人のさまざまな結びつきの中で、結婚以上に深い結びつきがあろうか。なぜなら結婚とは、愛の、忠誠の、献身の、自分を犠牲にしてでも守りたい気持ちの、最後に目指す極みであり、家族の生まれるところだからだ。婚姻関係を結ぶことで、二人の個人は、いままでの自分をはるかに超えて深みのある人間になる。

これら訴訟の申立人たちは、たとえ死が二人を分かつとしても、なお途切れぬ愛情が、結婚にはあると証明している。ゆえに、申立人たちが結婚という営みを軽視しているとするのは、大きな誤解である。彼らの申し立ては、結婚という営みの意味を尊重しているがためであり、だからこそ、自らもそれを成し得んとしているのである。

申立人たちの望みとは、最も古い時代よりみなで受け継いできた、婚姻という制度からつまはじきにされぬこと。孤独の内に生きるべしと、無慈悲な宣告をされぬこと。法の下に、平等なる尊厳を求めているのである。憲法は、彼らにもその権利を付与している。よって当法廷は、第六巡回区控訴裁の判断を破棄する。

上記のとおり命令する。

アメリカ最高裁が同性婚を認める その命令文が美しいと話題

 気持ち悪いねえ。文芸作品ならともかく、公的な命令文で「愛」とか、「献身」といった情緒的な単語の連続。鳥肌が立つ。
 さて、結婚という制度を設けていない社会はほぼ存在しない[1]。だが、いずれの社会でも、結婚は単に「愛の最後に目指す極み」であるだけでなく、「子作り」や「家同士の結びつき」などのためのものでもある。これは伝統社会に限ったことではない。現代社会でも、結婚に家同士の関係やつり合いなどの事情が絡むのは普通である。例えば、お見合いのセッティングでは、双方の経歴や家庭環境のつり合いが考慮される[2]

 要するに、結婚という制度は、決して愛だけにもとづいて成立しているわけではないのである。

 これは決して日本だけの話ではない。小谷野敦氏によれば、近代西洋(具体的な国名は書かれていない)では恋愛は結婚に必須だという考え方が一般化しているが、それはあくまで建前で、実際には適当に妥協して結婚する西洋人も多いという[3]

 それも当然のことだ。色恋という極めて私的な人間関係だけで成り立つシステムならば、そんなもの、わざわざお上がお墨つきを与えるような必要はない。

 一方、アメリカ最高裁の命令文賛美を見る限り、同性婚の擁護者は、結婚の持つこれらの意義は無視し、色恋だけに重きを置いているようだ。色恋にしか興味がないのだったら、「たかが色恋くらい、当人たちの勝手にさせろ」という声が目立ってもおかしくはない。これだって充分にリベラルな態度だ。しかし、実際はそのような理由で同性婚を肯定する意見は目立たない。同性婚の擁護者にとって、色恋はこの上なく尊いことであり、到底「たかが」などと言い現わせるようなものではないのである。要するに、ゲイリブは恋愛至上主義なのだ。

 また、同性婚の擁護者は、同性婚が認められていない日本を「時代遅れ」、「後進国」と批判しているが[4] [5]、これは、言うまでもなく時代遅れは悪いことという考えに基づいての意見である。すなわち進歩史観だ。進歩史観といえば恰好よいが、言い換えれば、同性婚を認めることはトレンディーでナウなヤングにバカウケであり、だから正義であるということだ。要するに、ゲイリブはミーハーなのである。
 なお、実際の所、同性愛が公然の存在であった伝統社会や古代社会がたくさんあるように[6] [7]、同性愛の容認と社会の発展とは必ずしも直結していない。逆に、近代化によってそれまでの同性愛文化が失われたケースも多い。例えば、日本の男色文化は、近代化に伴う欧米の価値観の流入によって恥ずべきものと考えられるようになり、20世紀初頭には衰退した[6] [8]。また、エジプトのシーワオアシスには長いこと同性婚の習慣が存在したが、1940年代になってから法的に禁止された[7]


 さて、同性婚を認めるということは、「結婚とは、1人の男と1人の女でするものである」というそれまでの定義を根本から覆すことである。これまでの定義が崩れた以上、「結婚」という概念は全くのゼロから再定義されなければならない。ならば、新たな婚姻のモデルを提示する人が出ることは、ごく自然ななりゆきである。

 そもそも、複婚(主に一夫多妻)というのは、世界中で昔から見られる婚姻の形態である。
 文化人類学者のG. P. マードックによると、世界の849の社会のうち、婚姻の形態として一夫一婦のみが認められているのは、全体の約16パーセントの137の社会にすぎない。全体の83パーセントにあたる708の社会には一夫多妻の制度があり、裕福な男性は、実際に複数の妻を持つことがある[1]
 つまり、世界で最も標準的なのは、「大半の人々は一夫一婦、少数の人々は一夫多妻」という社会なのである[1] [9]

 このことは、生物学的側面からも裏づけられる。
 動物一般では、一夫多妻の傾向が強いほど性的二型が大きくなる傾向がある。霊長類の場合、一夫多妻のゴリラは雌雄の体格差が大きいのに対し、一夫一婦のテナガザルは雌雄の体格差がほとんどない[1] [9] [10]
 ヒトの場合、女性の体重を100とした場合、男性の体重は108から112くらいである。これは、強い一夫多妻の霊長類に比べると小さい値だが、一夫一婦の種の中では大きい方である[1]。つまり、体の形態からは、ヒトは「弱い一夫一婦」の動物と考えられるのだ[1] [9]。そして、このことは実際の人類社会の婚姻形態にも符合している。

 同性愛は自然なものであり、かつ、社会的・文化的にもおかしなものではないという主張は、まあ正しいのだろう。だが、おかしくないのは同性愛だけではない。複婚もそうなのだ。ヒトの複婚は自然なことだし、かつ、社会的・文化的に見てもおかしなことではないのだ。

 さて、イスラム圏の一夫多妻などの伝統的な複婚に限らず、近年では、「ポリアモリー」と称して非伝統的な複婚を実践する人も出てきている[11]。さらに、オランダやブラジルでは、非伝統的な複婚が実質的に認められた[12] [13] [14]。オランダで認められたというのは、特筆すべきことである。なぜなら、オランダは現代社会で初めて同性婚を認めた国でもあるからだ[15]。つまり、オランダは「同性婚を認めるなら一夫多妻も認めろ」を実践したのだ。もはや、「同性婚を認めるなら一夫多妻も認めろ」という主張を暴論扱いはできない。これが暴論ならば、オランダは暴論王国ということになってしまう。

 なお、日本で複婚が解禁されるかどうかについて、弁護士の田中真由美氏は、「憲法で定める『両性の平等』に反するため、認められないと考えられる」と述べているが[16]、こんなもの、解釈次第でどうにでもなる。
 まず、一夫一婦制は昔から存在するものであって、「両性の平等」というナウい思想の産物ではない。一夫一婦と男女平等は別々の概念なのだ。一夫一婦制のもとにおいてのみ男女平等が実現できると決めつける理由はない。
 また、前近代の一夫多妻が男性優位のものだったからといって、非伝統的な複婚までも否定できるものではない。それこそ、一夫多妻と同時に一妻多夫も容認すれば、名目的な男女平等は確保できるわけだから、「『両性の平等』に反する」と考えることはできなくなる。
 そもそも、厳格な一夫一婦制も、「両性の平等」という思想も、さらにはゲイリブも、所詮はオランダやアメリカの猿真似にすぎないのだ。ならば、もう1つ猿真似をして複婚を認めさせようとすることに、何の問題があろうか。

 今でこそ、「進歩的」と言われる人々はこぞってゲイリブに与し、日本で同性婚が認められないことを非難しているが、この連中とて、かつて同性愛を「野蛮」、「不自然」などとくそみそに非難していた人々の思想的後継者にすぎない。掌返しのように見えるのも、オランダやアメリカのトレンドに追随しているだけなのだ。ただの西洋かぶれのミーハーなのだ。将来オランダやアメリカで非伝統的な複婚の地位が上昇すれば、この連中が「一夫一婦の強制はダサい。ポリアモリーの容認はナウい」と唱え出すであろうことは、火を見るより明らかである。


 イスラム圏などではそうだが、当てはまらない文化圏もある。社会によっては、例えば正室と側室や、皇后・中宮・女御・更衣のように、妻の間に上下関係があるというケースもある。




 ならば、当然、「今同性婚を認めていない国は、今後も認めるべきではない。同性婚をしたい人は同性婚を認めている国へ行け」と主張しなければならない。同性婚だけを優遇するいわれはない。


 未成年との婚姻は、とっくに認められている。例えば、日本の成人年齢は20歳だが、婚姻適齢は男が18歳、女が16歳である。成人年齢と婚姻適齢をともに18歳で統一しようという動きもあるが、2017年8月現在ではまだ実現には至っていない[17]。また、アメリカの場合、成人年齢や婚姻適齢は州によって異なるが、多くの州では18歳を成人年齢としており、かつ、未成年であっても親の同意と裁判所の承認があれば16歳から結婚できると規定している[18]


 ミーハーめ。










 これがリベラルな態度というものである。

同性婚とほぼ同じ議論が、

「では、なぜ近親婚は法律で禁止されているの?
 それは差別じゃないの?」

という立論でも成り立つのでは、とも言われています。


 規制される「近親婚」の基準は地域や社会によって異なる。例えば、中国では文化的あるいは医学的な理由からいとこ婚が禁じられている。また、アメリカの場合、医学的な理由から、24州ではいとこ婚を禁止し、7州では制限を設けている。その一方で、いとこ婚が全面的に認められている国もある。例えば日本だ[19]
 つまり、中国やアメリカの基準に従えば、国によってはすでに「近親婚」は認められていると言えるのだ。思考実験の余地も、作り話の出番もない。


 前述の通り、アメリカの多くの州では、医学的な見地から近親婚(いとこ婚)は規制されている。だが、日本では技術的なブレイクスルーがなくても認められているのだ。




 過去モルモン教が弾圧されてきたから、これからもモルモン教を弾圧すべきだと言うならば、同性愛者も弾圧すべきと主張しなければならない。なぜなら、過去のアメリカでは同性愛は社会的に許容されていたわけではないからだ。

 アメリカのゲイリブの起こりは1960年代[7]。だが、それとてすぐに受け入れられたわけではない。ゲイリー・P・リュープ氏によると、1980~1990年代になってさえ、アメリカの知識人の間では同性愛嫌悪の雰囲気が強く、「徳川時代の男色について研究している」という発言すらはばかられるほどだったという[6]。最高裁判所が同性婚を認める判断を下したのにいたっては、上の発言のわずか9日前だ(そもそも、ことの発端がこの判断だ)。アメリカ社会で同性愛が許容されるようになったのは、ごくごく新しいことなのだ。


 アメリカ合衆国憲法修正第1条(1791年成立)では、信教の自由が保証されている[20]。信教の自由は、200年以上の歴史を持つアメリカの伝統的な国是なのだ。言うまでもなくゲイリブの歴史より長い。


 好例はデヴィ夫人



 主流でない恋愛・性欲のうち、同性愛だけが擁護されるのは、単に今LGBTの権利運動が盛んだからにすぎない。イスラム教徒やモルモン教徒やポリアモリストよりもLGBTの権利運動の方が目立つから、「LGBTだけがかわいそう」という空気が広まっただけなのだ。
 だが、それは場当たり的に目立つもの、流行っているものに与しようという、極めて「ファッション的」かつ「その場しのぎの格好つけた」態度である。ゲイリブ自体は恋愛至上主義でミーハーだから、ファッション的な態度と親和性が高くても別におかしくはない。だが、そうであっても、同性愛だけを是認しようとする姿勢が場当たり的であることに変わりはない。そこに論理も正義もない。

 非伝統的な第2の選択肢を認めたら、第3、第4の選択肢を求める声が上がるのは自然な成り行きである。婚姻モデルの拡大だって、同性婚で終わるわけがない。非伝統的な同性婚を認めれば、複婚、さらに第4以降の選択肢を求める人が現れるのは当然のことだ。



それにしても、もし人類が「性差」を乗り越えたとしたら、今度は「種族」になるのでしょうか。人間と動物、あるいは無機物との婚姻とか。もっと哲学的に考えるなら、アイデンティティ、自他も超えて、私もあなたもみんなひとつという状態になるのかもしれません、なんて妄想で今日の記事を終りたいと思います。

ドイツの「同性婚」報道は世界でどのように伝えられているか、ひとりをこえてゆけ

 だが、人間はどこまで多様性に耐えられるのだろうか? 人間は、自分が思うよりずっと偏狭で保守的なものである。世界は、想像するよりずっと複雑で多様なものである。これから表出してくるであろう第3、第4の選択肢を、どこまで受け入れることができるのだろうか?


[1] 「進化と人間行動」 長谷川寿一、長谷川眞理子 東京大学出版会
[2] 結婚相談所職員談
[3] 「宗教に関心がなければいけないのか」 小谷野敦 ちくま新書
[4] 「聞きたい 知りたい 性的マイノリティ」 杉山貴士:編 日本機関誌出版センター
[5] 「LGBTってなんだろう?」 藥師実芳、笹原千奈未、古堂達也、小川奈津己 合同出版
[6] 「男色の日本史」 ゲイリー・P・リュープ 藤田真利子:訳 作品社
[7] 「ホモセクシャルの世界史」 松原國師 作品社
[8] 「江戸の性風俗」 氏家幹人 講談社現代新書
[9] 「第三のチンパンジー」 ジャレド・ダイアモンド:著 レベッカ・ステフォフ:編著 秋山勝:訳 草思社
[10] 「家族進化論」 山極寿一 東京大学出版会
[11] 複数人と同時に性愛関係を築く「ポリアモリー」とは? 浮気や不倫と異なる3つの理由
[12] First Trio "Married" in The Netherlands
[13] Dutch Couple Contracts with Second Woman in Netherlands’ First Legal Polygamy
[14] 「3人婚」の届け出を受理、ブラジル初
[15] 「同性婚をめぐる諸外国の動向」 佐久間悠太
[16] 米国で議論沸騰!「一夫多妻」が合法になる?
[17] 「18歳成人」臨時国会で=政府、民法改正案提出へ
[18] 「主要国の各種法定年齢 : 選挙権年齢・成人年齢引下げの経緯を中心に」 国立国会図書館調査及び立法考査局
[19] Cousin marriage
[20] アメリカ合衆国憲法に追加され またはこれを修正する条項