ここ1年ほど、書店のマナー本のコーナーで、「大和言葉」をテーマにした本をよく見る。だが、それらの多くは、読むものにあきれや怒りの感情をもたらす、すさまじいまでの与太本である。

 「与太本」と判断する最大の理由は、「大和言葉」と題しておきながら、平気で漢語や混種語を列挙していることである。「馬(うま)」や「梅(うめ)」といった、一見大和言葉に見えるが実は中国語起源とされる語のことではない。音読みの漢字でできた、一目でそれとわかる漢語だ。

 例えば、「大和言葉のこころえ」(山岸弘子:監修 ギャンビット)では「粗茶(p.40)」、「食事(p.52)」、「悲喜(p.81)」、「有卦(p.149)」、「如才(p.152)」といった漢語が「大和言葉」として紹介されている。
 また、この本の巻末には、現代語を「大和言葉」に言い換えた例として、以下のようなものが挙げられている(下線は引用者によるもの。本では色違いの文字が使われている)。

薄暗い朝方に → かたわれどきに p.182
競馬にはまっている → 競馬にうつつを抜かす p.186
成績がよくない → 成績が芳しくない p.187

 言い換えるも何も、「現代語」の時点ですでに大和言葉だ。
 もっとひどい例もある。

恥ずかしいけれど → は文字ながら p.183
見かけだおしの紳士 → 銀流しの紳士 p.187
わずかな望みはある → 一縷の望みはある p.187

 「文字」も「銀」も「一縷」も漢語だ。大和言葉を漢語に言い換えてどうするのだ。

 しかも、これは著者の無知によるものではない。著者は、明らかにわかった上で漢語を載せているのだ。このことは、42ページの記述からうかがい知ることができる。ここには「水菓子」という見出しが設けられているのだが、そこに付された解説には、以下のような一文が存在するのだ。

「菓子」は漢語ですが、「くだもの」は和語(大和言葉)です。 p.42

 読者を馬鹿にしているとしか思えない。

 さて、「品のよい日本語と大人のたしなみ」という副題がつけられていることから、また、章末にマナーの解説が載っていることから、この本では、「大和言葉」を「美しく上品で丁寧な日本語」として紹介しようとしてることがうかがえる。
 だが、そもそも大和言葉というのは、日本語固有の語・形態素のことであって、決して美しい日本語、上品な日本語、丁寧な日本語のことではない。いくら美しく、上品で、丁寧な表現を掲載していようとも、それが漢語であったなら、「大和言葉」の本としての価値は地に落ちる。
 なお、「この本の『大和言葉』の定義は一般的なものと違うのではないか?」と思われた方もいるかもしれないが、そんなことはない。以下に示すように、「大和言葉のこころえ」の6ページには次のようなに書かれている。

 現在、使われている日本語には、中国から取り入れた「漢語」、中国以外の国から入ってきた「外来語」、そして日本で生まれた「大和言葉」が入り乱れています。 p.6

 この通り、ごく一般的な使われ方である。

 さて、ひどいのはこの本だけではない。上で述べたように、最近1年くらいの間に出た「大和言葉」関連本は、大半がそうである。そして、本だけでなく、「大和言葉ブーム」を取り上げたネット上の記事も同様に滅茶苦茶な代物ばかりである。
 大部にはなりづらいニュース記事やブログ記事ゆえ、挙げられる実例も少なく、そのため漢語が列挙されることも少ないのだが、それでも「大和言葉」について明らかに誤解している記事は珍しくない。軽く検索してみただけでも、以下のようなものを見つけることができる。

「マジヤベー!」に疲れたあなたは、以下の書籍を読んでみてはいかがでしょうか。

大和言葉の言い換え一覧!ズムサタで紹介され話題に

 「マジヤベー」はれっきとした大和言葉だ。

「待っています」よりも「心待ちにしています」の方が、言われた相手は嬉しく感じられるもの。

このように、大和言葉はコミュニケーションを手助けしてくれる言葉です。

大和言葉とは?日本人なら知っておきたい美しい日本語です

 「待っています」も、「心待ちにしています」も、どちらも大和言葉だ。

たしかに、美しい言葉は耳に心地がいいいが、私たちが日常で大和言葉を多用するのは口幅ったいような気も。

話題の大和言葉 「先刻」を「いましがた」にすれば印象変わる

 むしろ、漢語を多用する方が口幅ったく聞こえる。「失念と言えば聞きよい物忘れ」という川柳に代表されるように、漢語には小難しい、専門的、高級、衒学的というイメージがあるからだ。

 繰り返すが、「大和言葉」というのは、決して美しい言葉のことではない。大和言葉で下品な発言だっていくらでもできるのだ。それこそ、「くそじじい、くたばりやがれ!」だって立派な大和言葉だ。