「最近のライトノベルは一人称文体ばかり」という主張をよく見かける。
 ここでは、その真偽は問題にしない。問題にしたいのは、それが批判・悪口として使われる節がある点だ。
 以下に引用した例を見ればわかるように、「一人称文体ばかり」なのがあたかも悪いことであるかのように語る人が目立つのだ。

「ライトノベルは一人称文体で書かれているもの」…というイメージがあるそうです。
(中略)
ともあれ、そういうことですので今後は「ライトノベルは一人称文体ばかりだ」なんて言わないであげてくださいね。よろしくお願いします。

「ライトノベルは一人称文体ばかり」が本当か調べてみた

「ライトノベルは一人称文体ばかり」が本当か調べてみた - WINDBIRD

やっぱり最近のラノベ語り者の偏見だっただけだという。おつかれさまです。(しかしここまでやってもセレクトが恣意的なんじゃないのとかいちゃもんつける人があらわれるに一票)

2016/08/12 20:02


 どうも、「一人称文体は三人称文体より幼稚」という偏見でもあるらしい。

 では、本当に一人称文体は三人称文体より幼稚なのだろうか?
 もし「一人称文体は三人称文体より幼稚」というのが真実ならば、年長者向けの小説ほど、一人称文体の比率が低くなるはずである。
 それならば、次のようなことが言えるはずだ。

 小学1年生の国語の教科書に載っている物語文と、中学3年生の国語の教科書に載っている小説とでは、前者の方が一人称文体の比率が高い。

 では、実際はどうなのか? 光村図書の教科書[1]について調べてみた。

 結果は以下の通りだ。

小1……9作品中1作品が一人称文体

中3……4作品中2作品が一人称文体

 小学1年生向けの物語文より、中学3年生向けの小説の方が一人称文体の比率が高い。

 中学校の教科書だけではない。高校の現代文の教科書の「定番小説」といえば、芥川龍之介「羅生門」、夏目漱石「こころ」、森鴎外「舞姫」、中島敦「山月記」の4つだが[2]、このうち「こころ」と「舞姫」は一人称文体だ。

 つまり、教科書を見る限り、年長者向けの小説ほど一人称文体の比率が低くなるどころか、その正反対の傾向を示しているということになるのだ。

 なお、中学や高校の教科書に載っている小説といっても、決して最初から中高生に向けて書かれた作品ばかりではない。上で挙げた高校教科書の定番小説はもちろん、中学校教科書の定番小説である森鴎外「高瀬舟」(三人称)や魯迅「故郷」(一人称)も、元々は大人向けに書かれた小説だ。

 結論を言えば、一人称文体は決して幼稚な文体などではないのだ。むしろ、小児向けの作品より大人向けの作品に多いくらいなのだ。

 それでは、「最近のライトノベルは一人称文体ばかり」という主張が悪口として使われるのはなぜだろうか?

 その理由としては、ライトノベルの地の文には、(1)~(2)のような話し言葉に近い文体が使われることがあるためというものが考えられる。

(1) これは……えーと……これは……なんだ?
 ケースを指に挟んで、ためすすがめつしてみるが、正体が判然としない。
 DVDのケースだ。それは分かる。レンタルビデオ屋なんかではよく見かけるケースだし……というかDVDってちゃんと書いてあるしな。だがその中身がよく分からねえ。

「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」 伏見つかさ 電撃文庫 p.19 2008年
  
(2) 言ってから、しまった、と思った。これは「黙れ」だ。三人のアメリカ人にきょとんと見つめられ、あたしは気まずい思いをした。「おとなしくしろ」って、英語でどう言うんだっけ? ドント・パニック?
 ええい、しゃあない、日本語でいこう。

「ギャラクシー・トリッパー美葉 1」 山本弘 角川スニーカー文庫 p.47-48 1992年

 だが、このような文体とて、決して新しいものではない。新井素子「あたしの中の……」(1977年)にまでさかのぼることができる文体だ。約40年前だ。新井素子以降のラノベを十把一からげにしてけなすならまだしも、「最近のラノベ」に限定して批判するには不適切である。
 そもそも、上に挙げた例にしたって、それぞれ8年前、24年前の作品だ。決してここ2、3年の作品ではない。

 「最近のラノベ」の悪口を言うのは勝手だ。ただ、その発言が、本当に「最近」の作品の「悪口」になっているかは、よく考えなければならない。さもなくば、恥をかくだけだ。


[1] 小学校教科書は2014年検定済、中学校教科書は2011年検定済のもの。
[2] 「国語教科書の闇」 川島幸希 新潮新書