古文・漢文は高校の授業科目から外すべき! (古文・漢文板

1 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/11/03(木) 13:06:38.61 ID:nB5Q5pT3.net
古文・漢文は実学からかけ離れすぎている。
こんなものを全員に覚えさせて、日本の将来を担う若者の貴重な時間を割いていては、
今後の経済戦争で外国に負けるのである。

やるとしても、高校授業や大学受験の内容からは大幅に内容・配点を縮小すべきである。
やりたいヤツは大学の専門課程の中でやれば良い。

授業科目群の内容を見直すべきである

 高校生の時、古文の授業で、福沢諭吉の「学問のすすめ」の初編を読まされた。「学問のすすめ」初編は実学の重要性を説いた文章であり、そこでは、古文は非実用的として退けられている。

 学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

学問のすすめ

 では、実用性がないにもかかわらず、なぜ古文を学ぶのか。その時の先生の言葉は、それは教養のためだというものであった。何となくごまかされたような気分はしつつも、その時は一応納得したのだが、大人になった今思い返してみると、やはりごまかされたとしか思えない。
 そもそも、「教養」というのは鵺のような概念である。
 今でこそ古典文芸の知識は教養の一環と考えられているが、元々は古典文芸と教養は別物であった。
 「教養」という日本語がドイツ語のBildungの訳語であることからもわかるように、「教養」という概念は近代に西洋から輸入されたものである。
 「教養」という概念が生まれたのは18世紀後半のヨーロッパ。当初は、「市民社会において公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」という抽象的な意味で用いられており、別段古典文芸と関わりの深い概念と考えられていたわけではなかった[1]
 教養が古典文芸と結びつけられるようになったのは19世紀初頭。きっかけとなったのは、プロイセンでヴィルヘルム=フォン=フンボルトによっておこなわれた教育改革である。
 前近代のヨーロッパでは、古代ギリシャ語、ラテン語などの古典語は知識人の共通語であり、その読み書きは知識人にとって必須の技能であった。そのような時代にあっては、古典文芸は、その内容よりも、むしろ文章の手本として評価されていた。
 だが、時代が下って18~19世紀、国民国家が成立すると、知的な活動もそれぞれの国語でおこなわれるようになり、古典語の実用性は失われた。
 そのような背景の下、フンボルトの教育改革によって、高等教育には、これまでの「知的職業人の育成」から、「人間性を身につける過程」という新たな目的が与えられた。教育改革後の高等教育機関では、実用的な知識よりも古典語教育が重視されるようになったが、その目的は最早文章の手本などというものではなかった。古典を読むことで人格の陶冶につなげることが意図されるようになったのだ。
 こうして、現代に続く、古典文芸と「人格の陶冶=教養」の結びつきが生じたのである[1]

 では、高校の古典の授業は「人格の陶冶」に役立っているのだろうか?

 答えは否である。

 そう考える理由は2つある。

 1つは、古典の教材は、必ずしも教訓やメッセージ性が強いものばかりではないからという理由だ。たとえ教訓やメッセージ性の強いものであっても、作品が書かれた当時と現在とでは文化や制度や状況や感覚が全く違う以上、決してそのメッセージをそのまま受け取ることはできない。あくまで過去の思想として、参考程度に頭に留めておくべきものでしかない。一般論ならば現代の生活に応用することもできるが、そのような一般論など、生徒はとっくに知っている。古典の読解によって何ら新しい知見が得られるわけでもない。

 もう1つは、古典の授業では、テキストの内容そのものよりも、原文の正確な読解や文法的解釈に重点が置かれているからという理由だ。高尚な雰囲気をまとっているが、実態は単なる「古代日本語」「古代中国語」の語学教育でしかない。
 英語や中国語やデンマーク語を学ぶこと「自体」が人格の陶冶に役立つと主張する論者はいまい。外国語が得意でもろくでもない奴がいくらでもいることなど、皆承知のことだからだ。文法や語彙の知識を詰めこんだところで、人間性が磨かれるわけはない。同じ理屈で、古代日本語や古代中国語を学んでも、それ自体が人格の陶冶につながることはない。

 それでは、古代日本語や古代中国語を学ぶことにはどのような意味があるのか?
 言うまでもなく、学校の古典の授業の第1の目的は、古文・漢文を読む能力を養うことである。では、それ以外にはどのようなメリットがあるのだろうか? そして、学校での古典教育は、そのメリットを意識しているのだろうか?

 古典語を学ぶメリットとしては、以下のようなものが考えられる。

 1つ、近現代の文語文を理解できるようになるというもの。
 だが、実際の所、学校での古典教育は近現代の文語文を読む能力を育成することを目的としているとは考えられない。なぜなら、学校教育では、そもそも近現代の文語文が教材として取り上げられることが少ないからだ。一応、学習指導要領では近現代の文語文も範疇に含まれているが、実際はほとんど無視されている。
 私の時も、「学問のすすめ」を読まされたのは1回だけで、次の授業からは平安時代の文章を読まされた。
 なお、近現代の文語文は、古典ではなく、むしろ現代文の授業で扱われている。例えば、森鴎外の「舞姫」は、高校現代文の定番教材である。

 2つ、口語文に混入される文語調の気取った言い回しが理解できるようになるというもの。
 だが、こちらも実際は現代文の領分だ。

 3つ、古典語は典礼言語としてお経や祝詞などで用いられているので、それらの理解につながるというもの。
 古文や漢文の知識がお経や祝詞の理解の助けになるのは確かである。だが、学校での古典教育の目的がそれだとは考えにくい。
 まず、お経や祝詞が教材として使われるケースは滅多にない。
 さらに、お経や祝詞の表記、読み方、文体などは、古典教材のそれとは大きく異なる。例えば、古文の授業では宣命書きのテキストは使わないし、漢文の授業では原文の直読はおこなわれない。また、典礼言語と規範的漢文には、語法の違いも存在する。例えば、仏典では「如是我聞」という文句がよく用いられるが、これは学校で教えられる規範的漢文にはない語法である。規範的漢文ならば、これは「我聞如是」でなければならない[2]
 それに、そもそも典礼言語というのはわかりにくいからこそありがたいものなのだ[3] [4]。下手に理解できると、ありがたみが薄れてしまう。

 4つ、古代日本語と現代日本語のつながりについて理解するきっかけとなるというもの。
 学習指導要領では、「古典特有の表現を味わったり,古典の言葉と現代の言葉とのつながりについて理解したりすること。」、「辞書などを用いて古典の言葉と現代の言葉とを比較し,その変遷などについて分かったことを報告すること。」などについて指導するよう定められているが、これは要するに歴史言語学である。すなわち、古典教育では歴史言語学に踏みこむことが求められているのだ。
 だが、実際の所、歴史言語学の基礎知識は一般に浸透しているとはとても言えない。つまり、古典の授業での歴史言語学教育は、何ら成果を上げていないということになる。
 そもそも、古典の授業で教えられているのは、平安時代の言葉を基準にした和文と、江戸時代後期に成立した現行の漢文訓読体がほとんどだ。日本語の変遷について全体的に理解するには、室町時代や江戸時代の話し言葉の知識、漢文訓読の変遷、候文などの変体漢文などに関する知識も必要だ。現行の古典の授業では、あまりに内容が偏りすぎていて、日本語史の概観をつかむには不適切である。

 結局、古典の授業は古典を読めるようになるという、ただそれだけのために設けられているのである。
 だが、実際には、古典を原文のまま鑑賞することは少ない。古文や漢文の知識が出世や金儲けにつながっている様子もない。実学からかけ離れていて無駄だという意見が出るのももっともである。

22 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2011/11/19(土) 21:47:42.38 ID:TvxDdX5X.net
今は高校全入だからね、
高校で教えていることは平均点でだれもが解かる、
を前提にして会話というか文章表現というかはしていい。

とゆーことのために、高校で色んなことを出来る限り学んでおいてもらわないとね、
困るのよ、君たちと話したり筆談(?)したりするオジサンたちはね。

そのひとつに古文漢文もあるとゆーだけ。(笑)


23 名前: 20 投稿日: 2011/11/20(日) 01:23:35.85 ID:Ku/An+FW.net
オジサンの話にあわせるためにやるのか・・・。

授業でパソコンを導入したり、英語の教材も以前とすると、
かなり実用的になってるし変えていくこと自体はいいと思うんだけどなー。
でも内容が薄くなるのは反対。

古文で出てくる書物は、詩、物語などの芸術的要素の強いものが多いから、
音楽、美術、書道と同じカテゴリーじゃない?

 だが、当の「オジサン」とて、必ずしも古文漢文になじんでいるわけではない。「オジサン」の多そうなオフィス街の書店に行っても、ビジネス書やら官能小説やらはたくさん置かれているが、古典語に関する本は少ない。

 実際の所、古典語の知識に関しては、少年も青年も中年も大差ない。受けてきた教育は少年も青年も中年も似たようなものだからである。例えば、大学入試センター試験の国語の配点は、現代文100点、古文50点、漢文50点だが、この配点は、1990年の第1回試験から変わらない。そして、その第1回センター試験を受けた人は、2011年時点で40歳、2016年には45歳になっている。

 確かに、戦前の学校教育では、古文や漢文は今より重んじられていた[5]。だが、そのような教育を受けていた世代は、もはやオジサンというよりオジイサンである。さらに、文語文が日常的に使われていた時代の人間となると、これは明治以前の生まれになる。年齢3桁だ。

27 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/11/23(水) 01:43:27.13 ID:vYdzDG2A.net
今の10代の性の乱れも、古文漢文みたいに無意味な学問を強制させることに原因がある。

もっと単純に

理系科目を勉強して科学を発展させる→社会の役に立つ→お金持ちになる

という因果関係を明確にするべき

それが古文漢文のせいで

意味の無い勉強をしてでも学歴社会で勝利する→他人を蹴落とす→お金持ちになる

という公式に変わっている

しかも古文漢文やそのた文系科目は低能のやる学問なんで、セックスしてても全然勉強できるから
10代の性の乱れが進行する

理系科目はセックスしてる奴にはちょっと厳しいモノがある


33 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2011/11/24(木) 00:07:30.08 ID:pq/LJCQ7.net
少なくとも歴史を学ぶ価値を認めるなら古文・漢文の価値を認めるべき。
教えないものを読まされることはありえないわけだから、
江戸時代やそれ以前の資料や戦前の資料さえ読めなくなっていいっていうなら別に問題ない。


また古文・漢文を学ぶ意義のひとつは歴史が扱えない精神・思想史をたどる事にある。
日々の生活のなかで人々が何を考えてきたか・今の自分の価値観はどういう背景を持っているか、という事を考えるのが古文・漢文。
そういうことに疑問を感じない人間にはたしかに不要だろう。
そういうのを考えて金になるかどうかっていうのはその人自身だからな。投資だと思ったらいいんじゃないかな。

考えずに生きる事を否定するつもりはないから>>1は古文・漢文を勉強しなくていいぞ。



関係ないけど>>27みたいな稚拙な発想してる奴はどこ受けても落ちると思う。悲観にくれればいいよ。

 くれるのは悲観ではなく悲嘆。

34 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/11/24(木) 02:42:40.41 ID:x0Ya9e3G.net
>>33
いいかげんなこと言ってるな
江戸時代やそれ以前の資料って、原本読んでるわけじゃないだろ
戦後に印刷されたもの読んでるだけだろ
なんで、現代語に翻訳するという簡単な作業を行なってないのか

江戸時代以前の資料を読むなら現代語訳されたものを読めばいいだけ
高校生が貴重な時間を、古文の文法や単語の勉強に当てさせられる説得力に欠ける

これに対し
ちゃんと、有効な回答ろよ>>33よ
いつもここで逃げるんだよな「古文漢文を高校で学ばせる派」の奴は

 この後も何度も出てくる「現代語訳で充分」という意見だが、これは決して無視してよいものではない。
 例えば、外国の資料を読む場合、翻訳に頼ることは決して珍しくない。そして、それを批判する声はほとんど聞かれない。ならば、古文だって同様だろう。「ロミオとジュリエット」を中野好夫訳で、「種の起原」を八杉龍一訳で読むことと、「源氏物語」を瀬戸内寂聴訳で読むことに、本質的な違いはない。最後のものだけが批判されるいわれはない。

48 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/11/26(土) 18:01:56.57 ID:fxNngwDh.net
文語の文法を理解してなかったら昭和の文献も読めなくなるね笑

どんな分野でも研究史を遡れないような奴は何したってダメだろう。
大学生になってからの勉強で充分だっていえるの?

翻訳すればいいと君は言うが、残念ながらアカデミックな文献は翻訳しきれるような数じゃないんだよな。

時間を割くとかそういうのは君の問題でしかないわけで、
君は君個人の問題を無理矢理一般化させたいだけなんだよ。
読まない奴は勉強しなくていいんだから勉強すんなよ。
他の事に時間割けばいいじゃないか。

何か問題があるの?

 昭和の文献では、以下のような言語が用いられていた。

(1) 精神的事實についての數量的研究の最も進歩して居るのは域覺や知覺内容の屬性に關する場合である。 (「精神的傾性の數量的研究について」 増田惟茂 昭和2年)

(2) そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。 (「怪人二十面相」 江戸川乱歩 昭和11年)

(3) 第九十六条 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。 (「日本国憲法」 昭和21年)

(4) ごはんが食べられないとおなかがすくじゃないか! (「究極超人あ~る」 ゆうきまさみ 昭和60年)

 文語の文法を理解していなくても読める。それもそうだ。昭和の文献の多くは、口語で書かれているのだ。

 なお、「太陽コーパス」(総合雑誌「太陽」をサンプルとした明治~大正期の書き言葉のコーパス)を用いた研究では、1895年の時点では、日本語の書き言葉は圧倒的に文語体が主流であった(文語記事689、口語記事39)が、1909年には文語記事と口語記事の割合が逆転し(文語記事267、口語記事376)、1925年ではほとんどが口語体となっていた(文語記事52、口語記事835)という結果が示されている[6] [7]

 一方、公文書では比較的遅くまで文語が使われていた。それでも、昭和13年の「漢字字体整理案」のように、戦前にも口語体の公文書は存在した。

49 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2011/11/27(日) 01:10:58.83 ID:eKKFE+oj.net
>>48
そこらの国公立の理系に研究史をさかのぼるとかいらんって。
ただ現場で使えるスキルが身に付いていればそれでいい。


52 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/11/27(日) 12:46:25.45 ID:QZju/dnQ.net
>>49

勝手な決めつけだな。
お前理系じゃないだろ。
研究史も遡れない奴が現場で使えるかよ。

 理系の学生や研究者が研究史をさかのぼる際に、はたして文語の知識は必要だろうか。答えは否である。その理由は2つある。

 1つは、過去の研究の概要を知ることが目的ならば、必ずしも原文に当たる必要はないからという理由だ。翻訳書、あるいは概説書であっても、充分目的を達せられる。例えば、進化生物学や生態学を専攻する学生が研究史をさかのぼるためにダーウィンの「種の起原」を読もうとする場合、必ずしもダーウィンの原書を手に取る必要はない。岩波文庫で充分である。

 もう1つは、過去の重要文献は、しばしば外国語で書かれているからという理由だ。例えば、前述の「種の起原」の原文は英語である。原書を読む際に必要なのは英語の知識であって、文語の知識ではない。

117 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/03/07(水) 09:07:57.67 ID:Fb93z4QP.net
そんなこといったら、外人だってラテン語学ぶ必要無くなるだろ


221 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/16(木) 04:11:14.23 ID:qg3EsS6d.net
西洋では知識人はラテン語や古典の知識は必須ですよ。
ギリシャ人じゃなくても古代ギリシャの思想や歴史を知ってて当たり前。
知らないと無教養って事になる。
漢文は日本に於けるそれに近い位置に有ると思う。

日本は建国以来今までずっと漢字を使ってるから
漢文を読むのも大した労力でもない。
文法的にちょっとルールを覚えるだけで、大体どんな時代の漢文も読める。
むしろ、日本語では、現代中国語よりも、古い言葉の意味が残ってたりするから
かなり有利な部分も有る。
欧米のキリスト教価値観だけで育った人でも、春秋時代の思想家の書や
道教や儒教の書を読んで、人生観に影響受けたり、その近代性に驚いたりして、
漢字が読めたらどんなにいいだろうとか書いてる文筆家や思想家もたくさんいる。
日本人は、原文で読める環境なんだからラッキーだと思う。


530 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/09/28(土) 14:22:55.55 ID:/aFB6Sqx.net
古文と漢文は教養
欧米のエリートはラテン語を当たり前に学んでる
日本のエリートも漢文の素養があったから
明治期に近代化するにあたって東洋になかった概念を漢字に当てはめることができた
今は漢文の素養がないからすぐに外来語としてそのまま使っちゃってる
昔は映画の題名も日本語に直してたんだよ
「風と共に去りぬ」とか「追憶」とかね

 実際は、西洋人もあまりラテン語など学んではいない。
 例えば、ワシントンにある応用言語学センターの調査によると、外国語の授業をおこなっているアメリカの中等教育段階の学校のうち、ラテン語を教えている学校の割合はわずか13パーセントにすぎないという[8]。また、少し古いデータになるが、Modern Language Associasionが全米の大学を対象におこなった1995年の統計によると、外国語を学習しているアメリカの大学生約114万人のうち、ラテン語を学んでいるのは約26000人と、わずか2パーセント強でしかなかった[9]

 アメリカに限った話ではない。例えば、フランスの場合、バカロレアで必須科目としてラテン語が課されるのは人文系の受験生のみだ。しかも、ラテン語は第二外国語(現代語)などで置き換えることもできる[10]

 知識人に限定しても、必ずしもラテン語の素養が必須とは言いがたい。
 例えば、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の入学者は、古典語教育重視のパブリックスクール出身者よりも、そうでないグラマースクール出身者の方が多い。大学で優秀な成績を残す学生も、パブリックスクール出身者よりグラマースクール出身者の方が多い[10]

126 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/04/05(木) 12:39:52.47 ID:kkIhBLNC.net
小学校初期から正假名を教えるべし
いとゐとひやえとゑとへなどの違いは
文法や成り立ちから来てるんだから
正假名を教えることで正しく文法を学べる
正字の漢字は趣味でいいよ

 「い」と「ゐ」と「ひ」や「え」と「ゑ」と「へ」などの違いは、文法ではなく、古代の音韻にもとづいている。

132 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/05/06(日) 21:57:20.19 ID:amgRTIni.net
英語の背後に流れているのは二千年続いた古典
聖書やホメーロスです。
日本の古典も知らないで国際人には成らないでしょう。
英語だけまなびたいのなら移住したほうが良い。
移住した国ではその国の背後に流れる古典を
身に着けて本当にその国の人になるわけだが。

 移民は大抵貧しいので、金にならない古典などは身につけない。

154 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/03(金) 13:02:37.94 ID:yIGrlDqm.net

古文や漢文の文法を学んだり、それらを読んだりする時間で
より多くの近現代日本語の文章が読めるだろうし、
現代日本語での作文練習ももっと多くできるだろう。
その方が論理能力も発達すると思うよ。

ときに、漢文に出てくるロジックって、アナロジーが多くて
現代人の――特に理系の目から見ると、あんま論理的じゃないよね…。


155 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/03(金) 13:17:10.11 ID:yIGrlDqm.net
漢籍を読ませることの意義って、基本的に漢語の語彙力の獲得だよね。

論語や荘子でこの先生きのこる知恵を学ぶんだ、とか言う人もいるみたいだけど、
内容を求めてるなら現代語訳の方が効率良く摂取できるだろうし、
じっさいそういう人たちも現代語訳のない論語や荘子を読むわけじゃないし。

言うなれば漱石の草枕とか、平野啓一郎の日蝕みたいな文章を読んだり書いたりする能力。
でもああいう非日常的な漢語を散りばめた装飾的な文章って、
今の価値観で言うと、あまり誉められたものじゃない。
もちろんペダンティックな欲望を満足させるオナニーはできるだろうが、
それは文章の論理的な正しさ、簡潔さや明晰さとは逆ベクトルの動きなわけで。


156 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/03(金) 13:27:34.39 ID:yIGrlDqm.net
漢文の返り点の読み方や、古文の文法を学ぶことで、
どういう能力を身につけさせたいのか。
それがなぜ重要なのか。現代文の学習ではそれはできないことなのか。

そういう視点から古文漢文の有用・無用を功利主義的に議論するのは有益だと思う。

俺としては古文も漢文よりは現代日本語の教育が優先されるべきだし、
文法や漢文・古文語彙の暗記は、
それ自体は読解力や作文力に結び付く応用性が低いから、
なくすべきだと思う。

つまり、文法や語彙を暗記して古文漢文の原文をちまちま読むよりは、
現代語訳で多くの古文漢文作品を読ませるのが良い。
古文の時間は谷崎や与謝野訳の源氏を読む。
漢文の時間は現代語訳された史記や戦国策を読む。
こうやって暗記よりテキストの読みに多くの時間を割いた方が、
古典から知恵を得るという点ではずっと役に立つはず。


157 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/03(金) 17:01:14.01 ID:clTse2f6.net
たしかに数学や科学の論理に慣れた我々からすると
中国の諸子百家が説得に使う論理って詭弁そのものだし
それで相手が説得されちゃう展開見ておいおいって思うよな。
「五十歩逃げた兵士が百歩逃げた奴を笑うようなものです」
ええーっ同じなの?って。w

まああんなもんばっかり読んでた前近代の中国の文人に
論理的思考が身につくはずもなく、
近代化に失敗して列強の半植民地にされたのも当然だと思う。


158 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/03(金) 20:24:22.08 ID:X8FR+fs2.net
>>154-157
次は漫画で表現しろになるのかな。
>ときに、漢文に出てくるロジックって、アナロジーが多くて
現代人の――特に理系の目から見ると、あんま論理的じゃないよね…。

言語で論理能力を高めるというのはそういう意味で
言ってるんじゃないと思うよ。
今使ってる言葉を歴史的にも空間的にも脳内で深め
言語の構造も深く複雑なものをそのまま理解習得することで
自然と人間本来に備わっている能力が引き出されてくるという意味が大きんじゃないかな。

>漢籍を読ませることの意義って、基本的に漢語の語彙力の獲得だよね。
多分漢文で語彙力はつかない。原典を読むという意味のほうが大きいと思う。
人間が考えた思想は既に出尽くしている。後はその原典に何度でもぶつかっていく。
そのたびに違った解釈が生まれ、人類の思想は深まっていく。
そういう姿勢を高校生に実感させるのもいいんじゃないかな。
聖書、仏典、哲学書、文学みな繰り返し読解されてそのたびに違う解釈が生まれ深くなってきた。
そんなに複雑な漢文は出てこないでしょう。効率。効率と言っていると
そのうちプログラミングを教えたほうが効率がいいとか言い出すかも。
あれは機械のための言語で使ってる人を見てると・・・


159 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/03(金) 21:31:38.61 ID:clTse2f6.net
>>158
もう少し論理的な文章を書いてくれると嬉しい。

>今使ってる言葉を歴史的にも空間的にも脳内で深め
おそらく日本語の歴史的な発達過程を踏まえることを言いたいのだろうが
空間的に脳内で深めるという表現は何のアナロジーなのか、
そもそも意味を考えて書いた言葉なのか不明瞭。

>言語の構造も深く複雑なものをそのまま理解することで
まあ何となく言いたいことはわかるが日本語としておかしい。

>自然と人間本来に備わっている力が引き出されてくる
具体的なプロセスを誤魔化すフレーズとして疑似科学によく見られる言い回しだが
ここでも具体的になぜそうなるのかという説明が抜け落ちている。

少なくとも>>158の文章を見る限り、まったく論路的思考力は引き出されていない。
まあ158くんはあまり古文漢文を読まなかったのかも知れないが。


160 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/03(金) 21:42:57.99 ID:clTse2f6.net
もちろんどのような学問や知識体系でも、
それが形成された歴史的な背景を学ぶことでより深い理解を得られるのは確かだ。
経済学なら経済学史、物理学なら物理学史、数学なら数学史を学ぶことで、
それぞれの学問のパラダイムを相対化することが容易になる。

古文漢文の学習を通じて日本語の語彙や文法、文体が現在そうある理由を
歴史的に理解する上では有用だろう。
それは日本語を何かのーー例えば論理的な思考や表現のーー手段として、
その利用を洗練させる訓練と言うよりは、
日本語自体を理解の目的とするものであって、
そこから一足飛びに論理的思考が手に入ったり、
人間本来の能力が引き出されたりするというのは、
論理の飛躍という他ない。


166 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/05(日) 20:55:22.76 ID:YVgpvj7N.net
敢えて古文漢文を難じる立場を取らせてもらうと、
どちらも古文や漢文を読む能力の助けになる――もちろん、あくまで助けで
あって、それで読めるようになるわけではない――ことは確かだが、
それは現代日本語を扱う能力には、必ずしも良い影響を与えないと思う。

古文漢文はなまじ現代日本語に近い分、そこでの語彙や文法・文体が
本人が使う現代日本語に影響しやすい。
例えば(しばしば装飾的・衒学的な)漢語語彙の多用や、
古典日本語文法の現代語との混用としてね。

こういうことを表現力の拡張だと喜ぶ人間もいるだろうが、
正確な情報伝達という言語の基本的な機能に照らすと、
語彙や文法の煩雑さは歓迎すべきことではない。

こうしたデメリットをもたらすリスクを無視して古文漢文を教える前に、
十代の若者には何よりもまず、
現代日本語による正確かつ平易な表現力を身につけさせることが必要だろう。


174 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/07(火) 03:31:31.76 ID:vg4ehXrG.net
文章を練る場合、駄文さえ書けて意思が通じればいい、
と考えれば、古典なんかどうでもいい。

日本人の感受性なんかは、枕草子・紫式部日記にも現れている。
原文で読めるかどうかの違いは、理解度だ。
サルトルなんかの哲学書を原文で読むと、頭にしみこんでくる。


176 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/07(火) 09:10:11.92 ID:C8j+Zc+P.net
現代日本語による優れた文をものしたければ、古文や漢文の語彙や文体や構成を学ぶよりも、
まず現代日本語の優れた文をできるだけ読み学び、それらを手本とした作文の訓練を積むことだ。

古文漢文を学ぶことが悪いとは言わない。
しかし中学高校水準の基礎的な教育においては、
現代日本語を扱う能力を鍛えることの方が重要だと言ってるんだ。
現にこのスレの古漢文教育を擁護する書き込みを見ても、
その文章力のお寒い水準は覆うべくもないだろう?


178 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/07(火) 20:56:56.97 ID:AdHHfJHC.net
>>176
現代日本語で規範になる文章ってあまりないですよ。
新聞でも誤用がたくさん有ったり、TVのテロップでも一日一回は間違いに遭遇するような時代。

漢文も含めて、古文や歴史の素養がないと、まともな文章はやっぱり書けない。
あえて言うけど、近年の日本語の乱れは、朝鮮学校卒とか、まともな日本の素養がない人間がマスコミや文筆家になってるから
生じてるんだと思う。
本来文章を書く仕事をしちゃいけない人がそういう仕事についてるから。

その一方、中学生、高校生でも見事な文章を書く人間もかなりいる。
文章は素養も含めて、その人の蓄積してる内面が反映されるから、
大人が「古文は必要ない」とか色々言おうと、自分で自分をちゃんと高めてる人
好きで学んでる人は、誰に言われなくても、自然に立派な文章を書きますよ。


179 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/07(火) 21:50:03.43 ID:z+FgGynI.net
…と君が書き散らしたその文章が、まさに現代日本語であって、
古文でも漢文でもないのはもちろん、擬古文や擬漢文ですらないんだよ。
現代日本語の規範は直接的には現代日本語を参照することによってしか
定め得ない。
そこで古文漢文の文法や言い回しを混用することは誤りですらありうる。

もちろん古文、漢文、のみならずフランス語や英語やウルドゥー語の素養が
間接的に現代日本語のまともな文章を書くために必須だと主張したければ
それもいいが、少なくともそうなる論理的なプロセスくらい示そうぜ。
立派な文章にお詳しい御仁なら尚更、な。


180 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/07(火) 23:21:47.64 ID:XaPoXjIg.net
>>179
単語の意味にせよ、文法にせよ、実際の用例から帰納されるものだからね。
現代日本語の規範を学べるのは、現代日本語の文を読むしかない。

ただ、文法や語義上の正しさにとどまらず、
説得力のある論理や構成という点まで含めて文章力の意味を広く取るなら、
現代文以外の要素も関与してくると思う。
例えば>>174や>>178のように「論理的なプロセス」を書かずに
結論だけを書いた文章が多いが、こうした悪文は数学的な素養の欠如に由来するのではなかろうか。
出来の良い生徒は「途中の式を書け」という教師の教えを会得しているだろうから。

俺だったら例えばこんな風に論理を展開するだろう。
『ある内容を伝えたい場合に(特殊なものでなく、一般的な例であるほど望ましい)、
 古文漢文の素養がないとこのような文章しか書き得ない。(実例提示)
 これに対し古文漢文の素養があると、このような文章を書くことができる。(実例提示)
 前者の文章はこのような点が日本語としてまともでない。
 いっぽう後者の文章はこのような点で前者に優れる。
 したがって古文漢文の素養はまともな日本語の文章を書くために必須である。』

何かを主張するための論理と構成を備えたまともな文章って、こういうもんだろ。

 かつて、洋の東西を問わず古典語が熱心に教育されてきた。だが、その目的は抽象的な教養やら知的訓練やらといったものではない。上でも述べた通り、前近代社会の古典語教育には、古典を手本とした文章を書けるようになるためという、実用的な目的があったのだ。これは、西洋も中国も日本も同様である[1] [11] [12]

 言文一致前の社会では、文章を書くとはすなわち文語≒古典語で書くということであった。古典語教育が重視されたのも当然のことである。翻って、言文一致が実現されて1世紀を経た現在では、古典語に基づく文語を書く機会は極端に少ない。文語での作文が必要になるのは、一部の芸術家や宗教家など、ごく少数の限られた職業くらいだ。それに対し、現代語の作文が必要になる人は多い。ほとんどの人が高頻度で何らかの現代語文を書いているのだ。当たり前の話だが、現代社会では、文語による作文能力より、現代語による作文能力の方が重要なのである。

184 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/08(水) 13:58:54.83 ID:e7FTyCGa.net
漢文の素養がないと絶対に書けない文の例。

”この故に無声の詩人には一句なく、無色の画家には尺※(糸+賺のつくり)
なきも、かく人世を観じ得るの点において、かく煩悩を解脱するの点において、
かく清浄界に出入し得るの点において、またこの不同不二の乾坤を建立し得る
の点において、我利私慾の覊絆を掃蕩するの点において、――千金の子よりも、
万乗の君よりも、あらゆる俗界の寵児よりも幸福である。”(SN、1906年)

”数か、数か。紅篋の度牒、袈裟、剃刀、噫又何ぞ奇なるや。道士の霊夢、
御溝の片舟、噫又何ぞ奇なるや。吾嘗て明史を読みて、其奇に驚き、
建文帝と共に所謂数なりの語を発せんと欲す。”(RK,1919年)

”隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで
江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃むところ頗る厚く、
賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。”(AN,1942年)

ちなみに漢文の素養をろくに持たないままこの種の文をものそうとすると、
平野啓一郎の『日蝕』のようなものができあがる。
素人にはお勧めできない。

 上から、夏目漱石「草枕」、幸田露伴「運命」、中島敦「山月記」

185 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/08(水) 15:06:25.87 ID:vW5noWR1.net
>>184
不必要に難解で装飾的な用語、JIS第二第三水準の漢字の多用。
執筆された時代や題材を勘案すれば、或いは文学作品として見るならともかく、
およそ日本人一般が目指すべき現代日本語の規範的な文章ではないな。

それにそういう文は少時から四書五経の素読を仕込まれた世代だから形になるのであって、
現今の中高の国語授業を全て使ってもそのレベルに至ることなど不可能だろう。


186 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/08(水) 15:22:38.53 ID:e7FTyCGa.net
>>185 
もちろんこんな文は今の日本人には書けもしないし、書くべきでもない。
ただ、このような文は、「漢字の多い文章=難しい文章=知的な文章」みたいな
小学生レベルの認識の人たちにとっては、まぎれもない日本語の名文なんだよ。

古典を何のために学ぶのかという問いに、
「まともな/立派な日本語を書くため」と答える人が(特に文章力の低い人の間に)多いのは、
畢竟このような擬古文・文語文への崇拝や憧憬によるのではないかと思う。

俺なんかは、古典を何のために学ぶのかと聞かれれば、
「古典を読むためだ」という答えで必要十分だと思うけどね。


189 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/08(水) 21:08:36.86 ID:vW5noWR1.net
>>186
古典を読むべきだ、という主張には俺も同意するにやぶさかでない。
ただ、古典を読むべきだからこそ、文法の暗記に労力を費やすよりも、
現代語訳で左伝や源氏、ソフォクレスやシェイクスピアを読むほうが、
古人の精神を学ぶという意味でも、日本語の能力を鍛えるという意味でも、
有益なのではないか、というのが俺の主張。

ツルゲーネフの翻訳から近代日本文学の文体が創造されたこと想起するまでもなく、
古文漢文よりは現代日本語の規範を学ぶのに好適でもあろうよ。


170 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/06(月) 12:48:57.71 ID:GejCIkoz.net
俺はセンターの古文漢文で満点を取り、京大の理系学部に入った。
ので、中高の教科書レベルの知識はひととおり頭に入っていると思う。
それ以上の専門的な内容を学んだことは(学部の一般科目を含めて)全くないが。

で、中高レベルの古典をいちおう修し終えただけの立場から言うと、
英語、数学、理科、そしてとりわけ現代文といった教科については、
高校で修めたそれらの知識や能力が
卒業後の知的活動において死活的に重要だと日々実感しているし、
日本史、世界史、地理といった社会科の諸教科も
現在の日本と世界のありようを理解する上で必須の素養だったと思う。

しかし古文漢文については、上述の他教科と比較したときに、
その知識の応用性、利用の機会において甚だ見劣りするのは、
実感として否定しがたい。

もちろん趣味として俺は源氏物語や杜甫の詩を読むことを愛する。
(もっとも源氏はもっぱら現代語訳だし、杜詩も返り点などを打って読んだりはしない
――つまりその鑑賞において中高で習った文法事項など全く必要としないが。)
しかしそれはトーマス・マンやバルザック、トルストイの文学に向けられる愛と、
或いはバッハの音楽や奈良の古建築に向けられる愛と同じ類のものであって、
そうした趣味のために中高の授業時間を割くことが適当かというと、首をかしげざるを得ない。
だからこのスレで提示されるような疑問はもっともだと思う。


171 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/06(月) 13:13:58.74 ID:GejCIkoz.net
仮に古典教育を、美術や音楽といった芸術科目の教育と同様の目的において
理由付けるとしても、
古文や漢文の文法を幾ら暗記したところで
一篇の漢詩も我々は作らないし、古文を用いた作文をするわけでもない。

「日本と中国の古典は素晴らしい芸術的価値を持つから
その鑑賞ができることはそれだけで非常に有難いのだ」
ということも可能かも知れないが、
俺が読んだ限り、ギリシア、ローマ、インド、中東、ヨーロッパ等等の
世界の錚々たる古典文学・思想・宗教作品群に対して
日本と中国の古典がその質において格別な地位を占めるとは思わない。

それらを原書で読むために(どうせ読めやしないが)古文単語や返り点の打ち方を学ぶ時間に
現代日本語訳の史記やプラトンやシェイクスピアを読ませた方が、
遥かに人格形成に有益な古典教育たりうるのではなかろうか。


208 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/08/10(金) 21:23:51.82 ID:qzz2yuHP.net
日本語の形成史を教えることが主眼でないなら、
つまり古典を読むことそのものに古典教育の目的があるなら、
結局、現代語訳で東西の古典を読ませる方がその目的に適う。

高校習う程度の古文文法を修めたところで、
現代語訳を読む方が内容について正確な理解を得られることは確かだろうから。

 上でも述べたが、外国語の資料を読む際に翻訳に頼ることは普通のことだ。そして、それは何ら非難されることではない。ならば、古典だって同じと考えたって、何もおかしいことはないだろう。

 また、171らが言うように、日本と中国以外の文芸や思想だって、価値があることに変わりはない。例えば、シェイクスピアの劇は、発表から約四百年を経た今でも上演され、強い影響力を保ち続けている。ギリシャ神話やアラビアンナイトの有名エピソードには、もはや一般常識となったものも少なくはない。中国の古典にしても、「三国演義」や「西遊記」などの白話文芸の名作は、四書五経や唐詩に負けず劣らず親しまれている。

311 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/09(日) 12:24:47.04 ID:W7N+dchf.net
源氏物語なんて現代語で読ませたらなおさらつまらないと思うけど
あれは古文で書かれているからいいんだよ


313 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/09/09(日) 18:14:50.90 ID:rP8ufp5O.net
現代語訳するとつまらないというのは
要するにプロットがつまらないということで
小説としては駄作という意味になる。

まあ俺自身は源氏が現代語訳で全くつまらないとも思わない
原文で読むと格段に面白くなるとも思わないが

 「源氏物語」が国民的な作品と考えられるようになったのは、1939年から刊行が始まった谷崎純一郎の現代語訳以降のことだという[13]。要するに、「源氏物語」は現代語訳によって評価されることとなった作品なのだ。

167 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/06(月) 00:54:10.73 ID:x9+o+9B3.net
和歌・川柳・俳句の区別を中学で教わらなかった高校生は、
悲惨だぜ。

自分の感情を表現する自由を奪われているようなもの。


168 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/06(月) 07:23:44.51 ID:zTSkmcRg.net
和歌や俳句でしか自分の感情が表現できない高校生って、いたら嫌だなぁ。w
まあ古文漢文を高校で教えることの是非と何の関係もないが

 167は、どこのパラレルワールドにお住まいなのだろうか? 言うまでもなく、現代の高校生の大半は、散文や自由詩で自分の感情を表現する。

214 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/14(火) 13:11:42.85 ID:JRi3Mcqa.net
(経済学部などを除く)文系での数学の役に立たなさはいいんですか?


215 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/14(火) 15:02:47.40 ID:8XxS9mnq.net
数学は論理的思考の訓練の場と認識していますが、

人文系の学問では論理は必要ないんですかね?


216 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/14(火) 18:53:28.68 ID:zVUTPcSG.net
まあ実際、人文系は研究者ですら非論理的な文を平気で書き散らすので
数学など必要ないと言っても良いのかも知れん。

何となく知的な雰囲気を醸し出す文章を書けば
内容はともかくとして、それでアカデミズムになっちゃう部分がある


217 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/14(火) 23:48:18.58 ID:duICCssK.net
人文系で非論理的な文を書いて平気な分野は限られるよ
文学や思想系だけだろう
歴史学、言語学、心理学、社会学など論理性を求められる分野は多い

言語と格闘して論理を構築しなければならないから、
理系の末端の日本語になってない論文なんて鼻で笑われる

数学的思考法だけではダメで、言語を道具として使いこなす
柔軟な思考力が求められる

そういう能力を養うのに、教養を問われ、文脈による判断を求められ、
約束事を覚えて読解に活かす漢文の訓練はうってつけだね
湯川秀樹は幼少から高名な漢学者の祖父に漢文の素読の訓練を受けていたから
優れた閃きを得られたのではないかな


218 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/15(水) 12:03:12.76 ID:EddBdtWD.net
理系への対抗意識に満ちたレス、微笑ましく読ませていただきました。

しかしながら、文脈を理解した上での解釈や、覚えた約束事を用いて行う読解、
といった特徴は言語の学習一般に言えることで、
漢文にのみ当てはまることでは勿論ないですよね。

仮にそれらの訓練によって「柔軟な思考」や「優れた閃き」が得られるとして
――わたしはそれも事実かどうか疑問に思いますが、それは措いて――
なぜそれを行う手段が、とりわけ漢文の学習でなければならないのでしょうか。

その点を説明できると、漢文を学ぶことの価値を、
多くの人に納得させられるのではないでしょうか。


219 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/15(水) 13:01:36.00 ID:A42hvWzM.net
「あのノーベル賞受賞者は猫を飼っていた。猫を飼えば頭が良くなるらしい」
「あの金メダリストはコーラが好きだ。コーラには運動能力を上げる効果がある」
「湯川秀樹は漢文をよくした。漢文を学べば優れた閃きが…」

少し考えてみてほしい。
800人を超えるノーベル賞受賞者の圧倒的多数を占めるのは
一生に一度も漢文など読まなかった欧米人であって、
漢学者を父に持つ湯川秀樹など例外中の例外に過ぎない。

湯川が幼時に漢文を学んだことを以って漢文の効用を説くのなら、
数百人のノーベル賞受賞者が漢文よりも親しんだであろう
ギリシア語やホメロスをこそ学ぶべきだということになる。


220 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/15(水) 14:43:03.09 ID:68Rl+AIA.net
・幕末明治→戦前→戦後と漢文教育のウェイトが縮小・後退するたびに、
日本の科学技術の水準はむしろ上昇している。

・総人口14億に及ぶ漢字文化圏のノーベル賞受賞者が20名に満たないのに対し、
漢文と無縁の欧米(総人口8億程度)のノーベル賞受賞者は800名を越える。

この結果から言って、むしろ「漢文を学ぶと馬鹿になる」と言った方が
まだしも説得力あるんじゃない?


222 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/16(木) 04:20:14.49 ID:4Ozkx/Ac.net
>>220
の書いている事は余りにも浅薄で、
こう言う考えが蔓延したから日本人は劣化したんだと思う。

漢文教育とか識字率のUPに従って日本人は過去業績を上げてきたじゃん。

ゆとり教育になってどうなった?
漢字圏じゃない外国人(韓国人も含む)がたくさん入ってきてどうなった?
文章能力や学力が以前より劣化してるじゃん。
今ノーベル賞とか取ってる人たちは、みんなゆとり教育じゃなかった時代の人だよ。

 222の発言は徹頭徹尾でたらめである。

 1つ、学問分野での日本人の業績は、むしろ漢文教育の縮小後の方が大きい。
 江戸時代以前の日本では、学問というのは漢籍を読んで漢文を書くことと同義であった[12]。明治に入って旧制中学が設立されても、しばらくは従前の漢学の影響の強い国語教育がおこなわれてきた。しかし、1890年代以降になると、文部省の意向により、和文(古文)が教科書に取り入れられるようになった。さらに、1902年の文部省訓令「中学校教授要目」により、現代文が学校教育で扱われるようになった[5]。220の言う通り、明治維新以降、漢文教育のウェイトは下がる一方なのである。
 さて、2016年時点での日本のノーベル賞受賞者(外国籍取得者含む。)は25人。この25人のうち、学制改革以前に中学校に上がっていたのは、湯川秀樹朝永振一郎江崎玲於奈川端康成佐藤栄作福井謙一小柴昌俊下村脩南部陽一郎鈴木章赤崎勇の11人と、半分にも満たない。過半数の受賞者は、現代文中心の戦後の国語教育を受けているのである。また、25人の中で最年長の川端康成でさえ、中学入学は1912年である。漢学一辺倒の時代に育ってノーベル賞を取った日本人はいないのだ。
 なお、1960年代にも、大学生の学力低下問題が世間を騒がせていた[14]。日本のノーベル賞受賞者のうち、1960年代に大学生であったのは、利根川進(1963年卒)、白川英樹(1961年卒)、野依良治(1961年卒)、小林誠(1967年卒)、益川敏英(1962年卒)、大隅良典(1967年卒)の6人である。

 2つ、ゆとり教育によって、日本人の学力は低下していない。
 学力低下の根拠としては、しばしば「OECD生徒の学習到達度調査(PISA)」の結果が挙げられる。例えば、読解力の場合、2000年には8位だったのが2003年には14位に低下している。一方、2009年には8位だったのが2012年には4位に上昇している。2002年に狭義のゆとり教育がはじまり、2012年に終了したことから、2003年の順位低下はゆとり教育の影響、2012年の上昇は脱ゆとり教育の影響という思いこみが生じたのだ。
 だが、この思いこみは正しくない。なぜなら、2003年にPISAを受験した生徒はたった1年しかゆとり教育を受けておらず、また、2012年に受験した生徒は9年間どっぷりゆとり教育を受けてきたからだ[15] [16]
 なお、ゆとり教育期の日本の読解力の点数は、2003年が498点、2006年が498点、2009年が520点、2012年が528点と[15] [17]、明らかな上昇傾向が見られる。また、全参加国中の位置は、2003年が41か国中14位で上位約34パーセント地点、2006年が57か国中15位で上位約26パーセント地点、2009年が65か国中8位で上位約12パーセント地点、2012年が65か国中4位で上位6パーセント地点と[17]、こちらも同様に右肩上がりだ。

229 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/17(金) 09:17:44.29 ID:pkQqtol3.net
和製漢語のおかげで土着の言語による高等教育が可能になったとか、母語で
自然科学が学べるようになったというのは、よく言われることだが、もう少し
深く考えて欲しいと思う。

漢語に置き換えれば母語になるが、カタカナ音写だと母語にならないという
のなら、「エネルギー」「ベクトル」「エントロピー」「スピン」「ポテン
シャル」等等の語彙を用いて行う今日の物理の授業は母語による授業ではな
いということになろうよ。

実際には和製漢語で置き換えようと、カタカナ語で置き換えようと、いずれ
も既存の日本語にない概念の輸入であって、翻訳ではない。 意味と語の対
応はそこで新たに作られるものだ。

むしろ西洋概念を漢語で置き換えることは、それが西洋概念であるという由
来を覆い隠してしまうし、置き換えた漢語が既に漢文文脈の意味をまとって
もいるから、却って正確な意味の把握を妨げることもある。 「経済」の意
味を「経世済民」という漢語に辿ってもeconomyという概念の正しい理解には
繋がらない。economyという欧語の由来を辿るなら、もとよりカタカナ語で
記した方が良かっただろう。


230 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/17(金) 11:08:38.10 ID:rsNItGis.net
>>229
カタカナの科学技術用語は漢字造語が減少して外国語教育が
より広範に普及して以後に生まれたものが多いね。
もし物理の教科書がもっとカタカナ語だらけだったら、はたして今のように
物理教育は円滑に行えているだろうか。
コンピューター用語にカタカナ語が多いことも、高齢者のIT化を妨げている。
安易なカタカナ化はそれも母語化のいち手段と認めたとしても、多用による
弊害は明らかだ。

漢字語のメリットは日本語においては「音」と「訓」の併存によって支えられている。
造語成分に使われる音読みと、意義解釈に役立つ訓読みを漢字によって結びつける、
これが日本語の表記法の重要部分を占めている。これが国語教育でどれだけの
労力の軽減をもたらしているかは気づかない人も多い。

欧米諸言語でも諸科学の基本概念が母語の中の日常的要素と大いに異なる
外来要素であることは多いが(英語におけるラテン語・ギリシア語もそう)、
そういう言語による高等教育は最初の段階で基本概念の定義と把握にかなりの時間を割く。
だから科学は少数のエリートに独占されやすく、進歩はしても基礎知識の普及は
メディアを含め容易でない。
日本人は後発組であるぶん、少しでも裾野を広げてせめて高等教育の前半まででも
楽をしなければやっていけないのだ。

economyに関してはのちに「家政」というより原語に忠実な訳語が作られたが、
別の意味になって普及した。原語の意味がわかれば解決というものではなく、
ときには意訳も有効であることの証だろう。
「全てかゼロか」の極端な思考法で漢文を否定する提案は、漢字表記と現代日本語までも
解体しようというものだ。


232 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/17(金) 13:02:00.68 ID:Pt/Sn6Zp.net
高齢者のデジタルディバイドは欧米でも起こってるように、
高齢者が新語や新概念にキャッチアップしにくいのはいつの時代もどの国でも同じ。
それをカタカナ語のせいにするのは筋違い。

開化当時の老人は漢語訳された欧米の学問に容易に親しんだとでも思ってるんだろうか。


233 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/17(金) 13:29:54.29 ID:O6gILevn.net
>>232
江戸時代までの日本語は、今ほど大々的な漢語の侵食を受けていなかったから、
恐らく開化当時の老人が和製漢語だらけのテキストを見るのは、
戦後の老人がカタカナ語だらけのテキストを読むのと同じようなものだったろう。
(もちろん開化時にも漢文に通じたインテリはいた。現在、英語に通じた日本人が数多くいるように。)

なお、明治期に大量の和製漢語が作られたために、日本語語彙に占める漢語の割合が著しく増加し、
結果として他国に例を見ないほど多くの同音異義語を抱え込むことになった。
「仮定の問題」を「家庭の問題」と誤解したり、「科学」を「化学」と間違える類の齟齬は誰しも覚えがあろう。
カタカナ語多様の弊害については疑問だが、漢語多用の弊害については否定できない事実だ。

 さて、明治期に作られた和製漢語による訳語は、果たして非エリートに西洋渡来の概念をたやすく伝えることができているだろうか? 答えは否である。「哲学」や「郵便」といった字面を見たところで、その意味を正しく推し量ることはできない。

 柳父章氏が述べているように、「哲学」という語は、現代人だけでなく、漢籍に通じた明治の知識人にとっても意味の乏しい言葉であった。それこそ、「テツ学」と書くのと同じようなもので、今まで日本にはなかったような内容の学問なのだという程度の意味しかなかったのだ[18]。また、「郵便」については、明治時代に初めて郵便ポストが設置された際、「郵便箱」を「垂便箱」と読み間違え、公衆便所と勘違いした人がいたというエピソードを挙げれば充分であろう[19]

 そもそも、明治初期~中期にかけての識字率は、滋賀県が約70パーセント、岡山県が約55パーセント、鹿児島県が約25パーセントと、決して高いものではなかったのだ[20]。字が読めない人にとっては、それこそ「ケイザイ」だろうと「エコノミー」だろうと、「カガク」だろうと「サイエンス」だろうと、ただの意味不明な音の羅列でしかない。

246 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/25(土) 07:06:26.09 ID:Sdkm2qzv.net
日本語では水という漢字は「みず」という大和言葉と「すい」という外来の読みがある。そのため水素をみずのもとと瞬間的に理解できる。
英語でもwaterとhydroという外来語に分かれているが一般人はギリシャ等由来の
学術用語を聞いてもさっぱり解らないのでインテリと一般人の間に断絶がある
というのを昔読んだな。

 246が昔読んだというのは、鈴木孝夫「日本語と外国語」(岩波新書)あたりだろう。

247 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/25(土) 08:30:57.10 ID:ndCKWBAe.net
まず一般的な英語ネイティブは
脱水(de-hydrate)や水力発電(hydro-power)という言葉も知ってるし、
hydroが水と関係がある語であることは「一般人」なら分かる。

そもそも水素は「みずのもと」ではない。
遠い過去にそう考えられていた時代の名残に過ぎない。
水素をみずのもと、ないしhydroーgenと読んでも、
それによって瞬時に分かることなどほとんどない。


249 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/08/25(土) 18:20:36.47 ID:ndCKWBAe.net
水素とhydrogenという例の選択も多分に恣意的だよな。
これが有理数とrational numberなら、前者ではただちにその意味が分からないのに対し、
後者はratioすなわち比で表せる数、とたちどころにその本質が分かる。

要するにどの言語にも分かりやすい語彙とそうでないものがあるのだが、
そのうち日本語の分かりやすいものだけ見て日本語特有の事象と混同してるわけ。

戦闘機は英語でfighter。fightという日常語で表しているから英語話者は瞬間的に意味がわかるが
戦闘は日常語ではないので日本ではインテリしか戦闘機という語の意味がわからない、
と言えば246は同様に納得するのだろうか?


254 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/08/26(日) 13:36:30.23 ID:ijHLfLVW.net


>>247
「水素をみずのもとと瞬間的に理解できる」と主張してしまう根本的な原因は、
「訓読み」と「意味の理解」を混同してる所にあると思う。

スイ=みずという対応や、Aqua=hydro=waterという対応で分かるのは
意味ではなく、語源。 語源が分かっても意味が分かるとは限らないし、
ましてや学術用語の正確な内容などまず分からない。
スイソを水の素と訓じたところで水素の物理的・化学的性質について
何かが分かるわけではないように。

しかし奇しくも日本語と漢文の問題点を無自覚に披露した例と言えるかもしれんね。
訓読みが分かればそれで意味がわかったつもりになってしまい、
それ以上考えない日本人が多いことは否定できないからなあ。

 254の指摘する、漢字の原義から翻訳語を解釈するという誤りは、漢語が濫用された明治時代からはびこっていた。具体的には、「権」の原義は「はかり」だからと、「権利」という翻訳語を無理矢理「はかり」と結びつけて解釈するような誤りだ[18]。言うまでもなく、「権」の字の原義を知っていたところで、"right"という舶来の概念を正しく解釈できたりはしない。
 ただし、漢字の原義から意味を類推しづらいのは、近代の翻訳語に限ったことではない。「我慢」、「家来」、「連中」、「街道」など、江戸時代以前の和製漢語の方が字面だけでは意味を取りづらいものが多い[20]

285 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/09/05(水) 18:35:34.38 ID:DfLFDCnx.net
お前ら変なこと言ってるな。
古文の勉強は古文を読むためのものに決まってるだろうが。

古文を読む必要がないと思う人間は、簡単に言うと近代人ではない。
そんな人間には何を言っても無駄だろう。


288 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/06(木) 02:24:35.21 ID:YcH755sX.net
近代人とは何の関係もない。

むしろ日本の伝統文化を尊崇する保守思想の賜物だろうね。


289 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/09/06(木) 20:09:19.72 ID:ciQKXi6q.net
一般人が古典をしっかりと保持していることが近代国家たるべき条件の一。
前近代国家は古典の意義を知るまでには至っていないと言っていい。


293 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/09/07(金) 04:40:12.09 ID:ngcMtwlp.net
>一般人が古典をしっかりと保持していることが近代国家たるべき条件の一。

いや、そんな条件、君の頭の中にしかないから。

 近代国家は、むしろ、古典の価値が弱まった社会である。
 上でも述べた通り、言文一致前の社会では、文章を書くとはすなわち文語≒古典語で書くということであった。古典語が重視されたのも当然の話だ。その一方、現代社会ではほとんどの文章は現代語で書かれている。
 また、前近代の社会において、古典語に基づく文語というのは、国家を超越した知識人の共有物であった。西ヨーロッパのラテン語、東アジアの漢文などが典型だ[3]。だが、近代になって国民国家が成立すると、知的活動も自国語でおこなわれるようになった[1]。その結果として、古典語を介した広域的な知識人のつながりが弱まり、その一方で、国語を共通することによって知識人と庶民とのつながりが強化されたのである。

328 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/10(月) 16:16:10.77 ID:sP1YMjn9.net
いずれにせよ、問題は、
中高の古文漢文教育によって得られる(と期待される)
「入門書程度」の読解力に、どれだけの恩恵があるかということだね。

そこに加えて、相当量の学習を個々人が行えば、
原文で「読みこなせる」ようになる可能性もある。
そうした訓練を経る暇を得なかった大多数の読者は、
注釈、解説書、現代語訳などの助けを借りて読むことになるだろう。

まあ、そもそも日本古典文学を読むことを嗜む日本人が
いったい何%いるのかという疑問もあるが。


329 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/09/10(月) 19:27:09.25 ID:Gx6CL5ce.net
>解説書や現代語訳の助けを借りて読む

それで良いと思うんだよな。

読むに値する古文漢文の主だった名著は既に
研究者がきちんとした現代語訳を出してるし、
素人が原文に当たって自家流に解釈して読むよりは
現代語訳付きのものを読んだ方が
ずっと正しい内容が理解できる。

それに英語と違って、
もはや発話としても文書としても
古文漢文によって新しい情報が発信されることはないから、
敢えて自力で読まなければならない文献があるわけでもない。

中途半端な原文読みの練習に労力を費やす意義が
果たしてどこにあるのだろう?


335 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/11(火) 22:56:14.33 ID:WO8TotFV.net
>>328
>いずれにせよ、問題は、
>中高の古文漢文教育によって得られる(と期待される)
>「入門書程度」の読解力に、どれだけの恩恵があるかということだね。

たとえば思いつく限りでは次の四点が挙げられるかな。

一、日本史の資料が読めて、そこから問題を把握できるようになる恩恵。
(これによって実証主義的な日本史の学習が可能となる)

二、古典の素養を前提にして書かれた近代以降の文献(たとえば『舞姫』・現代短歌等)が読むことで得られる恩恵。

三、現代語の学習に歴史的・時代的観点を提供し、語学的・文化的理解を深められる恩恵。

四、異質な言語として過去の日本語を学習することで、語釈・文法知識の活用の重要性を学ぶことができる恩恵。

少なくともこの四つは有り難かったなあと思うよ。

個人的に古典籍から日本のジェンダー観とか考えると楽しかったな。


338 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/11(火) 23:58:18.02 ID:3oWmvHlv.net
「歴史的・時代的観点を提供し、語学的・文化的理解を深められる」
こういう抽象的な表現に逃げるのは自分でもよく理解しないまま言ってるからなのだろうけれど

現代日本語には多量の欧文由来の訳語や欧文脈由来の文章語法が混入しているわけで
仮に古典籍を読む能力を齧ってまで現代語の語源学的な理解を得なければならないのなら
古文漢文のみに限定せず西欧の古典も学ぶべきだという主張は正しいということになる。

鴎外の舞姫とて、日本古典と漢籍のみから生まれたものではないのは言を俟たぬ。


339 名前: 名無氏物語 [age] 投稿日: 2012/09/12(水) 14:04:58.19 ID:PD4z2nVd.net
なんにせよ歴史を学ぶことで理解が深まるのは事実じゃないの

科学を学ぶのなら科学史、英語を学ぶのなら英語史、
現代日本語を学ぶのなら古文漢文をやった方が、
「なぜそうなったのか」が分かるから、理解が深まる。

「歴史的・時代的観点を提供し、語学的・文化的理解を深められる」も
明晰さを欠いた文章だけど、言いたいことはそういうことでしょ。


342 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/13(木) 07:30:20.81 ID:4/fDnfvt.net
>>339
古文漢文が現代日本語の理解を深める一助になることも確かにあるだろうけど、
そうだとして直ちに現状の古文漢文教育を肯定する理由にはならない。
例えば韓国語を勉強しても、自国語の相対化という形で日本語への理解を深める一助になる。

(1)その歴史的アプローチが万人にとって必要なのかどうか。
 現に古期英語も古代中世の数学や科学も、中学高校で習わないだろう。

(2)歴史的アプローチが必要だとして、古文漢文だけで良いとなぜ言えるのか。
 現代日本語の語彙や文体の形成に当たって欧文脈の果たした役割は極めて大きい。

という2種類の問題提起がとりあえず可能だね。


349 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/16(日) 01:56:32.27 ID:pFZY9jTW.net
>>338
>欧文由来の訳語や欧文脈由来の文章語法
欧文という漠然とした言い方はよくないな。
具体的に何の事をさしているの?

>西欧の古典も学ぶべきだという主張
なんか唐突に出てきたな。それを争点にした覚えは無いけどな。
どう正しくなるんだ?証明してほしいな。

現代日本語・日本文学の形成に影響した西洋の古典作品って具体的になに?
ポルトガル語?オランダ語?ドイツ語?まさか英語?

ひょっとして聖書とか仰るんじゃないでしょう?w


350 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/16(日) 02:40:55.97 ID:pFZY9jTW.net
>>344
>「歴史的アプローチって必ず必要なのかな?」

必ず必要(笑)ですね。何を目的とするかはそれぞれでしょうけど。
現に歴史的アプローチをしない科目はありませんし、
歴史に収斂されないで無縁でいられる学問など聞いたことがありません。

「ピタゴラスの定理」という教え方にせよ、「元素」の概念にせよ、
歴史的アプローチは発達段階に応じてどの科目でもやってることです。

歴史的アプローチを「知らない」ことと、
「無関心でいること」「知らなくていいと主張する」ことの間には
知的営為を行っていくうえで大きな差があります。


351 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/16(日) 06:45:46.93 ID:0QwOHVo6.net
>>現代日本語の形成に影響した西洋文学の古典作品って具体的になに?
--(例) Тургенев“Записки охотника”

>>欧文由来の訳語や欧文脈由来の文章語法/具体的に何の事?
--(例)文化、文明、民族、思想、法律、経済、客観、主観などの欧語由来の和製漢語。
「責任を取る」「注意を払う」「恋に落ちる」などの欧語由来のイディオム。
代名詞による主語の明示、関係詞的な節を用いた多層的な文章構造など。

しかしこういう常識的なことをいちいちここで繰り返さなければならないことに驚く。
現代日本語の形成に与えた欧文の影響を知らずに、
前近代と近代以降の書き言葉との間にある明らかな差異をどう理解していたのだろう?
この程度のことを知らない御仁が歴史的アプローチの要を説くのなら、たちの悪い冗談だ。

 351が挙げているものの他、主語で始まって動詞・助動詞の終止形で終わる比較的短いセンテンス、「そして」や「しかし」といった接続詞の多用、「彼」「彼女」という三人称代名詞なども、欧文翻訳によって日本語にもたらされたものである[4] [18] [21]。そして、翻訳によってもたらされた文体は、今や最も標準的な書き言葉となった。

 なお、351が挙げているТургенев “Записки охотника”というのは、二葉亭四迷によって「あいびき」という題で訳されたツルゲーネフの「猟人日記」のことである。

352 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/16(日) 06:57:33.80 ID:0QwOHVo6.net
そして、いかなる歴史的アプローチが必要なのかという問いかけの趣旨も、
「古期英語も古代中世の数学や科学も」という例示から読み取って欲しいものだと思う。

たとえば数学の授業でピタゴラスの定理のエピソードに触れるように、
断片的に過去の歴史を紐解くアプローチが必要だとしても、
一時代の語彙と文法の総体を学び文章を読もうとする水準のものが求められるとは限らない。
現に我々は、古英語の文法や単語を暗記するわけでもないし、
古代中世の一時代に理解された数学や科学の体系を学ぶわけでもない。

ならば特に現状の古文漢文のような形での歴史的アプローチが果たして必要なのか、
必要だとしてそれはいかなる理由によるのか、ということがここで問うていることだよ。

 さて、現状の古文漢文は日本語を理解するための歴史的アプローチとして適切なのだろうか? 答えは否である。上で述べた通り、現行の高校の古典教育の内容はあまりにも偏っていて、日本語史の概要をつかむには不適切である。古典教育の目的はあくまで文芸鑑賞能力の育成であって、言語学教育ではないのだ。

295 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/07(金) 07:51:22.56 ID:SYAHJWUK.net
古文・漢文を否定する人間の思考回路って大体共通してるよね。
何かがおかしい。
マインドコントロールにかかっているかのよう。
 韓国人と近いのもうなづける。
古文漢文を否定する奴は、大体カトリックとかクリスチャンなんだよね。
その否定の根底にあるのは、
キリスト教より明らかに優れてて正しく、
近代思想とも共通する概念が、古代の中国や日本に有った事を絶対認めたくない
そんなものが存在するわけがない、そんなものを日本で教育するのは
許せないって言う思想なんだよね。

俺多分間違ってないと思うよ。


296 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/07(金) 08:00:13.04 ID:SYAHJWUK.net
今時クリスチャンとか、はっきり言ってキチガイじゃん?
なんで信者続けてられるの?普通の思考回路が有ったら、否定するでしょ普通。
あたりまえだろ。しかも、この、文化圏が違う日本でクリスチャンを続けるって事は、
強力なマインドコントロールがかかってて、カルト的思考がないとやっていけないだろ。

古文漢文を否定する奴は、自分のマインドコントロールから抜けられない
哀れな人間なんですよ。
でも、それを他者に強要すると言うなら話は違う。
そういう奴は日本から出てくか、黙るか死ぬかしろって事です。


299 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/09/07(金) 10:26:43.90 ID:9niLdX4M.net
「キリスト教より明らかに優れて正しい」などと価値観の序列を主張する。
クリスチャンをキチガイなどと罵る。
自分の価値観に賛同しない人間に「日本から出ていけ」などと喚く。
韓国人に対する差別的な発言を無自覚に行う。

全て俺の思う教養ある人間のやることとは全く真逆、というか
教養以前に両親からの躾をやりなおして貰った方が良いレベル。

古文漢文を読んで教養を身に付けた末に296のような人間になるのなら、
そんな教養は俺は断じて願い下げだわ。苦笑

 あきれてはならない。295 = 296が特別愚かなのではない。掲示板を眺めていれば、この程度の書きこみはいくらでも見つけられる。それが「痰壺」、「便所の落書き」なのだ。

390 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/09/21(金) 02:06:18.00 ID:/iCvM7uw.net
落語・歌舞伎・能・狂言なども、
古文を引き継いだ伝統があるからこそ成り立ってる。

西洋から見ると、amazing countryなんだ。

 390は知らないだろうが、出雲阿国が歌舞伎踊りを始めた時代は、イギリス・ルネサンス演劇の全盛期でもあり、シェイクスピアが劇作家としての地位を確立していた。また、イタリアでオペラの上演が始まったのもこの時期である。なお、西洋演劇のルーツは古代ギリシャ演劇であり、その発祥は紀元前6世紀(日本では弥生時代)にさかのぼる。そして、古代ギリシャ演劇の理論は近代の演劇にも影響を与えている[22] [23]

391 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/21(金) 02:20:05.26 ID:FeYonywR.net
伝統芸能なんてどこの国でもあるから。
ナショナリズムオナニーは確かに気持ち良いが
人前でそうそう見せびらかすもんじゃない。
少し手を休めて、もうちょっと冷静な視点で古文漢文の意義を見直そうぜ


392 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/21(金) 02:35:11.71 ID:QTdJg5LK.net
>>391

無知丸出しなことを言っているんじゃねえよ。

隣の韓国を見てみろ。

どこに誇るべき伝統芸能があるんだ?

中国をみてみろ。

とっくに伝統芸能なんて消滅しているだろうが。


393 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/21(金) 02:54:10.32 ID:ItsIhyfQ.net
韓国ならパンソリやタルチュム、中国なら京劇くらいはすぐに挙げられるが
まあ、お前がそう思うんならそうなんだろう。お前の中ではな。

 パンソリは太鼓の伴奏とストーリーのある歌からなる口承文芸、タルチュムは野外でおこなわれる仮面劇、京劇は北京を中心に発達した音楽劇である。

382 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/20(木) 02:31:40.85 ID:+fi0OEuP.net

古文・漢文を勉強する意義が理解できない奴は

完全なる知恵遅れ。

在日チョンのクズか?(嘲笑)


406 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/24(月) 04:05:47.09 ID:eoP8DYHJ.net
>>382
言葉は乱暴だけど貴方の言ってる事は正しい。支持します。

日本人でありながら古文ごときを何か理由付けて廃止しようとするのがまず頭おかしいよ。

当ててやろうか?古文廃止とか言ってる奴は、多分、駅の看板のハングル文字とかは賛成だろ?
図星(笑)でしょ?


407 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/24(月) 08:03:27.04 ID:G40NI7rX.net
古文廃止には反対だが、駅の表示で英語の他に韓国語や中国語を入れるのは賛成。


410 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/24(月) 16:52:00.59 ID:mE315ayZ.net
俺も古文廃止には絶対に反対だが、
案内表示に外国語を入れることには何の問題もないな。
何か困るんだろうか?


411 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/24(月) 17:44:39.70 ID:coAgF0YV.net
>>410
英語だけで良い。
もし別の外国語を入れるとしたらフランス語。
ハングルは絶対に必要なし。

 西洋かぶれめ。

413 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2012/09/24(月) 18:04:34.48 ID:KlUyLSTS.net
統計を見るに、年間800万あまりの訪日外国人旅行者のうち
中国語話者が4割弱、韓国語話者が3割弱、英語話者が15%くらいなので
英・中・韓の併記はまあ妥当な線だろうけど。

…フランス語?

 最新の統計によれば、2015年の訪日外国人2000万人弱のうち、中国語話者(中国+台湾+香港[24]+シンガポール×0.74[25]+マレーシア×0.25[26])が約53パーセント、韓国語話者(韓国)が約20パーセント、英語話者(アメリカ+イギリス+オーストラリア+カナダ×0.85[27]+香港[24]+シンガポール[28]+マレーシア[28]+フィリピン)が約23パーセント[29]。それに対し、フランス語話者(フランス+カナダ×0.3[27])はわずか1.4パーセント強にすぎない[29]

 西洋かぶれ諸氏が期待するほど、日本とヨーロッパのつながりは深くないのである。

444 名前: 名無氏物語 投稿日: 2012/12/17(月) 10:56:07.50 ID:lSphImdy.net
学生のうちはわからないんだよ

社会人になって得意先まわりで話題に困った時に何話す?

歴史や古典の知識があると役にたつよ
バカ話だけでは軽く見られるから
たまに教養のあるところを見せると相手の評価も変わるよ

 少なくとも、古典文芸の話はしない。そもそも、古典の話をする営業職など見たことがない。得意先回りでいきなり和歌を詠みだしたり、漢詩を吟じだしたりするのは、どう考えてもただの不気味な人である。風流人相手のよほど特殊な商売でしか成り立たない話だ。

84 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/12/25(日) 18:32:24.64 ID:i4LOyveR.net

古文,漢文,クソ気分!

サッサと,受験からクソ教科をなくせ!

高校の授業からも亡くせ!

反日のシナや朝鮮の言葉を学んでも意味は無い。
敵国の言葉を教える教師は,在日と同じ。
日本から追い出せや。


461 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/05/08(水) 13:01:36.04 ID:4kmxifam.net
反日教育をしてる韓国や中国のクソ文を,
学校で平気で教えている日本の教育は間違っている。

なんで,日の丸を焼いたり,日本企業の建物を破壊したりする
反日国家の語学を日本は公然と学んでいるのだ?

漢文の教師は,中国の回し者と同じだ!
日本人ではない,日本の敵だ。

 韓国や中国とな? 古文は日本の作品、漢文は大半が中国の作品だ。韓国の出番はない。
 「カンコクヤチュウゴク」などという国はない。言うまでもなく、中国と韓国は、言語も文化も風土も歴史も制度も異なる、全く別の国なのだ。一緒くたにして語る人は、主義主張に関わらず愚かである。

473 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/06/20(木) 13:10:44.26 ID:7CJytJ9u.net
でも、漢文できれば現代中国語で書かれた文章を翻訳せずにスラスラ日本語で読める訳で、十分役立つんじゃなあい?


474 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/06/22(土) 16:08:22.43 ID:74L3PEwV.net
>>473
最初から中国語学んだほうが遥かにいいだろ



476 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2013/06/26(水) 18:23:42.19 ID:2PDTvmA9.net

>>474

馬鹿丸出し(プッ

漢文は中国語習得の10000分の1以下の時間で

学習できることすら知らない知恵遅れ(嘲笑)

しかも、現在の支那に学ぶべき文化なんてあると思っているのか?(大爆笑)

 1つ、漢文が「中国語習得の10000分の1以下の時間で学習できる」、すなわち片手間で習得できるような代物なら、わざわざ学校で時間を割く必要などない。バスを待っている間にでも学べばよい。

 2つ、学ぶべき文化があるから外国語を習う、すなわち、先進国の優れた文化を取り入れるために外国語を習うという発想が間違いである。現在、中国語習得のメリットとして注目されているのは、商売での有用性だ。この目的では、古典語は現代中国語に太刀打ちできない。

 3つ、そもそも、「学ぶべき文化」の多くは現代語で書かれている。例えば、現在発行される学術論文の9割近くは英語で書かれている[30]。古文でも漢文でもない。

477 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/06/26(水) 21:30:23.10 ID:9M1Gc0o6.net
>>476
漢文なんて役に立たねえんだからやるなら中国語を学んだほうが遥かにいいんだよ知恵遅れ


479 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2013/06/26(水) 22:49:23.05 ID:Q+KhslBL.net
別スレで突っ込んじゃったものだけど、それコピペ貼りまくってる馬鹿だよ

ただ真面目な話、古文漢文を学ぶことで「深い人間性を涵養できる」みたいなことを言ってる人に
>>475みたいな差別的なこととか、平気で言える人が結構いるのが、なんというか
一種の遂行的矛盾ではあるな

古文漢文をやったせいで、そういう人間になるとはいえないものの
古文漢文をやったところで、必ずしも人間性が涵養されるとは限らないとはいえそう。

まあ、古典とかには普通に差別的な思想が含まれてたりするので、無批判に受け入れると差別的な人間が出来上がるとかありえなくもないけど
さすがにそれを無批判に受け入れるって、どんだけ馬鹿なのよ…という気はしないでもないが。


481 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2013/06/28(金) 20:12:23.74 ID:mPhRnlCG.net

>>477

馬鹿丸出し(プッ

漢文の中には学ぶべき知恵が多く残されている。

現在の日本の精神文化の一端のルーツを知ることもできる。

それが理解できない理由は

  テ  メ  ー  が  馬  鹿  だ  か ら

なんだよ。

解かったか? 馬鹿。

解からなねえだろ(大爆笑)

 1つ、上でも述べた通り、古代中国と現代日本とでは文化も制度も感覚も状況も大きく異なるため、そのまま現代に応用することはできない。一般論としては役に立つこともあるが、それ以上のことは得られないし、得ようとすべきではない。
 例えば、「列女伝」「孟母三遷」のエピソード。ここから学べることは、「子供の教育には環境が大切だ」という、何ら目新しさのない一般論だけである。具体的な記述――すなわち、「学校ごっこはよいことで、お店屋さんごっこは悪いこと」、あるいは「知識人は尊いが、商人は卑しい」という価値判断――は学ぶべきではない。
 だが、その程度の一般論ならば、わざわざ古典を読むまでもない。皆とっくに知っていることだ。

 2つ、そもそも、481は間違いなく古典を読んでいない。読んでいたとしても何も学んでいない(そう判断した理由は後述)。そんな人間が、古典の価値を判断できるはずもない。

485 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/06/29(土) 08:29:26.82 ID:Ycw/1PbM.net
>>481
昔の日本の精神文化を学ぶのなら現代語で学べばいい。
わざわざ昔の単語や文法を覚える必要は無いけど


486 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/06/29(土) 21:37:56.88 ID:aVUBJnfB.net

>>485

翻訳する人間の解釈が入らずに翻訳が可能だと思っている知恵遅れ(プッ

これだから古典を読まない馬鹿は救い難い(嘲笑)

あははははははははははははははははははははははははははははは


488 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/06/30(日) 07:57:03.01 ID:lEnKqWZX.net
>>486


なら余計、専門家に翻訳してもらうべきじゃん



491 名前: 名無氏物語 [sage] 投稿日: 2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:8MQvhNy4.net

>>488
>>490

馬鹿が(プッ

現代語で読むということは、翻訳者の解釈が入ることになり、

自分の視点で読む事にはならないということすら

理解できない知恵遅れ(嘲笑)

しかも、現在の自己と連続性のある自国の古典であるからこそ、非本質的な要素に

邪魔をされずに相対化できるし、特に他民族からの征服がなかった日本は、純粋に

古典を読む真価を得られる貴重な環境であることすら理解していない死んだほうがいいクズ(爆笑)

これだから、古典を読まないお前は

チョンやチャンコロ並に馬鹿なんだよ(爆笑)

あはははははははははははははははははははははははははは

 486から、「漢文」という語が「古典」に変わっている。それもそうだ。漢文は現在の自己と連続性のない他国の古典だ。それも、馬鹿にしている「チャンコロ」と連続性のある古典だ。どうやら、その矛盾を突かれる前に、「漢文」という語の使用をやめる程度の知恵はあったらしい。

 さて、古典に限らず、読書において大切なのは、書かれていることを正しく理解することである。では、自分の視点で読むことと、翻訳者の解釈を入れて読むこと、どちらの方がより正しく文の内容を理解できるだろうか? もちろん後者である。素人の独自解釈では、とんでもない誤読をしてしまう可能性が大きい。

 めぼしい古典は、すでに多くの専門家によって研究され、コンセンサスの得られた翻訳、解釈が存在する。それを参考にするのは恥でも怠惰でもない。素人判断に危険性を避けるためには、むしろ積極的に活用すべきだ。少しのことにも、先達はあらまほしきことなのだ。徒然草にもそう書かれている。思いて学ばざればあやういのだ。論語にもそう書かれている[31]

 素人判断の危険性を無視する481 = 491は、間違いなく「徒然草」も「論語」も読んでいない。読んでいたとしても、何も学べていない。
 「徒然草」や「論語」といった有名作品すら知らないことから、481 = 491は、古典についてまるで無知と判断できる。そんな人間が、古典の「学ぶべき知恵」云々とは、おこがましいことこの上ない。

496 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:BH5RcE7f.net

>>495
>495 名前:名無氏物語[] 投稿日:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:6P+p6b72
>単語や文法を表面的にかじった素人が読んで理解するより
>専門家が訳したものを読んだ方がより忠実に理解できると思うけど?
----------------------------------------------------------
がはははははははははははははははははははははははははははは

知恵遅れ丸出し(大爆笑)

専門家っていったい何の専門家だよ?(プッ

職業・生い立ち・趣味・生活環境・・・・・・・・・・・・千差万別の人生がある中で

それぞれが、あくまで個人の人生の限界から出れない中で、あくまで個人の

主観の中で解釈するしか方法は無く、古典文学の専門家でも専門は「言語」・「文学」にすぎず

文章の意味の解釈は個人の経験の限界を超えられないということすら理解できない救い難い馬鹿(嘲笑)

おい、馬鹿

テメー、古典どころか、現代文の本もろくに読んでねえだろ。

テメーは古文をやらなくていいよ

無駄だから(爆笑)

マンガでも読んでろ(大爆笑)

あはははははははははははははははははははははははははは

 「言語」・「文学」を専門にするとは、その言語や文学の理解に最適化した訓練を受け、その上で、その専門分野の文献を読むことに非専門家をはるかに上回る時間を費やすことである。すなわち、専門家の「個人の人生の限界」、「個人の経験の限界」の水準は、非専門家のそれよりはるかに上にあるのだ。ならば、専門家の「個人の主観の中で」解釈したものの方が、素人のそれより優れているのは当然だ。

 とはいえ、476 = 496は古典語の知識は片手間で習得するものと思っているのだ。古典の専門家を軽んずるのも仕方のないことだ。

497 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:6P+p6b72.net
>>496
いや、文章ってそんなに曖昧なものじゃないから。

そんなに読む人によって解釈が違って来るなら古文自体が欠陥言語ってことになって、
より学ぶ必要が無いものってことになるんだけど?w

お前自身もその頭の悪さじゃとんでもねえ吹っ飛んだ解釈してそうだしな(笑)


498 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:khk3yrSs.net

>>497

馬鹿丸出し(プッ

言語は曖昧だからこそ通じることすら理解できていない無教養丸出しの知恵遅れ(大爆笑)

これほどの馬鹿も珍しい(大爆笑)

あははははははははははははははははははははははははははははははははははは

 さて、ここで、「反社会学講座 第9回 ひきこもりのためのビジネスマナー講座」を参考にちょっとした実験をしてみよう。相手に「今度の日曜日、朝8時半にJR東京駅八重洲南口に集合」という内容を伝える場合、どのように言ったらよいだろうか?

(5) 今度の日曜日、朝8時半にJR東京駅八重洲南口に集合。

(6) 今度駅に集合。

 言うまでもなく、(5)と(6)を比べたら(6)の方がはるかに曖昧である。それでは、今度の日曜日の朝8時半に東京駅八重洲南口に来てもらえそうなのはどちらか? 通常ならば(5)と答えるだろう。だが、498は(6)と答えなければならない。なぜなら、498の主張に従えば、「言葉は曖昧だからこそ通じる」はずだからだ。

 もう1つ例を挙げてみよう。

(7) 明治十一年七月二十三日、ツァルスコエセローの離宮にて一時帰朝御暇乞ひの謁見相済み、同廿六日午后七時十五分の汽車にて彼得堡府出立。 (「榎本武揚 シベリア日記」 講談社:編 講談社学術文庫 p.25)

(8) 某年某月某日、謁見相済み、汽車にて某所出立。

 498は次のように言わなければならない。すなわち、(7)を読んでも榎本武揚が帰国のために明治11年7月26日午後7時15分の汽車でペテルブルクを発ったことはわからないが、(8)を読めば榎本武揚が帰国のために明治11年7月26日午後7時15分の汽車でペテルブルクを発ったことがわかると。なぜなら、498の主張に従えば、「言葉は曖昧だからこそ通じる」はずだからだ。

499 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:+72DHCp6.net
>>498
通じるって読む人によって解釈が異なるんだろ?
それ通じるって言わないんだけどお前はまず現代語を学べ。


501 名前: 名無氏物語 投稿日: 2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:khk3yrSs.net

>>499

現に、テメーは教養ある日本人なら普通に理解できる

我輩の書き込みが全く理解できていねえだろうが。

テメー自身が生き証人になっているのが自覚できねえのかよ。

このヴァ~~~~~~~~~~~~~~~~カ

あははははははははははははははははははははははは

 確かに、教養ある日本人なら普通に理解できる。501が無知の上に論理的思考力皆無であり、かつ、自分のことを「我輩」と言うような痛い子であることが。


 さて、結局、古文や漢文を学ぶ意味はあるのだろうか? 私の意見は、「無意味ではないが、ありがたがるようなものではない」というものだ。
 古典語はあくまで1つの言語である。英語や中国語やデンマーク語と同じだ。役に立てようと思えばいくらでも役に立てることはできるが、学んだからといって別段徳が高まるようなものでもない。


[1] 「これが「教養」だ」 清水真木 新潮新書
[2] 「漢文と東アジア」 金文京 岩波新書
[3] 「日本語史のインタフェースとは何か」 金水敏 (「日本語史のインタフェース」 金水敏、乾善彦、渋谷勝己 岩波書店)
[4] 「未知との出会い」 柳父章 法政大学出版局
[5] 「国語教科書の闇」 川島幸希 新潮新書
[6] 「近代書き言葉はこうしてできた」 田中牧郎 岩波書店
[7] 太陽コーパス
[8] アメリカ人が中国語を嫌う理由
[9] 「社会言語学入門」 東照二 研究社
[10] 「フランス産エリートはなぜ凄いのか」 橘木俊詔 中公新書ラクレ
[11] 「科挙」 宮崎市定 中公新書
[12] 「漱石の夏やすみ」 高島俊男 朔北社
[13] 「『こころ』は本当に名作か」 小谷野敦 新潮新書
[14] 反社会学講座 第15回 学力低下を防ぐには
[15] 学力の国際比較(OECDのPISA調査)
[16] 「ゆとり教育」って結局なんだったの? 怒れるゆとり世代と専門家に聞く
[17] OECD生徒の学習到達度調査(PISA)
[18] 「翻訳とは何か」 柳父章 法政大学出版局
[19] 黒塗柱箱
[20] 「漢字雑談」 高島俊男 講談社現代新書
[21] 「翻訳語を讀む」 柳父章 丸山学芸図書
[22] History of theatre
[23] 演劇の歴史
[24] 香港人は中国語話者と英語話者の両方にカウント。
[25] シンガポール基礎データ
[26] マレーシア基礎データ
[27] Knowledge of official languages
[28] シンガポールとマレーシアの華人は中国語話者と英語話者の両方にカウント。
[29] 訪日外客数の動向
[30] 「科学研究のベンチマーキング2010 -論文分析でみる世界の研究活動の変化と日本の状況- 」 阪彩香
[31] 言うまでもなく、これらは一般論である。