あれ?


 たしかポリコレの命題のひとつに

「個々の事例(犯罪や不祥事)があったからといって、それを『○○国』や『○○国人』に一般化するのは、ポリティカルコレクトに反する」というのがあったような、なかったような。

 紳士と淑女(おっと、もちろん両性に限定せず、トランスジェンダーの方なども含みます)の集う良識の府、「はてなブックマーク」に、よもやそういうものがあるはずもなく…

(中略)

しかし削除されていないから、ここに反しているわけではない。

もし反していると思うなら、はてなに連絡してみごと削除させてみよ…と。


どうなんでしょうね。

一雑誌「シャルリー・エプド」掲載の漫画批判…ではなく、そこから一般化して「フランス人」「フランス」批判をすることについて

 これは目新しい問題ではない。このブログでも、すでに2回取り上げている問題である。
 結論から言えば、現代の日本では、西洋人という属性の悪口や戯画化は大っぴらに認められている。不良少年を「アメリカ人」と呼んだり、日本人が古代ローマ人を演じたり、イギリス人を嘘つきの代名詞にしたり、モルドバ人を三枚目として描いたりしても、特別糾弾されたりはしない。だからこそ、「紳士淑女の集う良識の府」であっても、フランス人の悪口が当たり前にまかり通るのだ。
 2016年1月14日の記事で、私は次のように書いた。

結局、擁護されるに値するのは可哀想な弱者の権利「だけ」で、強者にカテゴライズされる人間は軽んじてもよいというのが、良識的な人々の本音なのである。

 何のことはない。「ぽりちかる・これくとねす」と称するものの正体は、単なる判官贔屓だったのだ。

 では、フランス人は配慮のいらない強者なのか? そんなわけはない。少なくとも、はてなブックマークユーザーの圧倒的多数が住むであろう日本では、フランス人は何の特権もないただの外国人にすぎない。
 それならば、なぜフランス人を十把一からげにした悪口が大っぴらにまかり通るのか。

 これについては、2016年8月5日の記事で書いた。すぐ下の記事である。

 結局、西洋人の戯画化は許され、黒人や中国人の戯画化は許されないのは、ただのダブルスタンダードなのだ。では、なぜこのようなダブルスタンダードがまかり通るのか? それは、声の大きいいわゆる良識的な人々が、すさまじい西洋かぶれだからである。

(中略)

 さて、上で「ダブルスタンダード」と書いたが、西洋かぶれである当人は、決して自分の行為をダブルスタンダードとは思っていないだろう。
 西洋人はいつでもどこでもマジョリティーだと信じているので、からかっても西洋蔑視や西洋人差別につながるとは考えないのだ。

 非西洋人の悪口が横行しているのならば、それを強く非難する声も上がろう。運営にかけ合って侮蔑的なコメントを削除してもらおうとする人も現れよう。だが、西洋人の悪口に対しては、大した批判は起こらない。なぜなら、外国人の悪口を差別だ蔑視だと糾弾する「良識的な」人々は、その少なからぬ割合が西洋かぶれであるからだ。西洋に心酔するあまり、西洋人がマジョリティーでない社会(例:日本)のことを忘れてしまっている。それゆえ、西洋批判が西洋蔑視や西洋人差別につながるという考えが浮かばないのだ。

 以前も述べたように、非西洋人の悪口は許されないのに、西洋人の悪口は許されるというのは、明らかな差別思想である。「反差別」や「ぽりちかる・これくとねす」を唱えておきながら、差別思想に染まっているというのは、どう考えても矛盾している。

 結局、声高に叫ばれる「反差別」や「ぽりちかる・これくとねす」なるものは、欺瞞でしかなかったのだ。勘違いした「ぽりちかる・これくとねす」は、ドブに捨てなければならない。