数ある日本語の役割語のうち、最も代表的なものは<老人語>(あるいは<博士語>)だろう。
 例えば、「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」(金水敏 岩波書店)や「役割語研究の地平」(金水敏:編 くろしお出版)のカバーには老博士の姿が描かれているし、「<役割語>小辞典」(金水敏:編 研究社)には、「日本語の役割語でひときわ精彩を放ち続けるものに、<老人語>があります。(ix)」という文がある。
 また、「役割語」という概念をよく知らない人に説明する際、具体例として挙げられるものも<老人語>であることが多い。下に引用したレスなどがよい例だ。

1 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日: 2011/12/13(火) 23:03:04.99 0.net
卒論で、役割語についてやるんだ。
かんたんにいうと→役割語:博士ことば(わし、~なのじゃ)のように、その喋り口調や一人称などで
すぐにどんなキャラだかわかることばのこと
〆切あと7日なんだけどな
要旨書けって言われて書いてるけど終わらない
本題の論文は0文字だ(梗概から色々コピペするが

なんかちょっと頭のなかでまとまらなくなってきたから、
語りつつ、整理したい
誰か聞いてやってくれ、なんかおかしいところあったり、
意見とかアドバイスあればたのみたいれす

【役割語】卒論でキャラ属性【ステレオタイプ】
 <老人語>の特徴としては、自称の「わし」、打ち消しの助動詞「ぬ/ん」、存在を示す「おる」、断定の助動詞「じゃ」、終助詞「わい」「のう」などが挙げられる。よく「広島弁に近い」と言われるが[1] [2]、それは必ずしも正しくはない。なぜなら、<老人語>の特徴とされるものに、広島弁特有の表現は含まれていないからだ。例えば「ぬ/ん」、「おる」、「じゃ」などは西日本で広く用いられている。また、「わし」という自称、「わい」や「のう」などの終助詞は、全国各地で使われている[3] [4]

 役割語としての<老人語>が誕生したのは江戸時代のことである。
 江戸時代の前期には、江戸の町人の間には共通語と呼べるものがなく、江戸の町は方言雑居の状態だった。一方、上方語は王城の地の言葉であり、高い威信を持っていた。18世紀後半になると、江戸の町人の間に東日本型の共通語が形成され、18~19世紀にかけて次第に上層へと浸透していった。この時期に生じたのが、地位や年齢が高い人ほど昔から権威のあった上方語を用い、逆に地位や年齢が低い人ほど新しい共通語である江戸語を受け入れるようになったという状況である。この状況が歌舞伎や戯作の中で誇張されることで、「老人や知識人の台詞に西日本型の言葉を用いる」という習慣が生まれたのである[5]

 さて、上で「<老人語>の特徴」として、「わし」、「ぬ/ん」、「おる」、「じゃ」、「わい」、「のう」といった要素を挙げたが、これらの要素を用いるのは老人キャラに限ったことではない。例えば、(1)~(4)は<武士言葉>としての使用例である。なお、以下の引用文中の下線は引用者によるものである。

殿様の台詞

(1) ここはいったいどこじゃ!? (A: p.39)

(2) これ、だれかおらぬか? (A: p.40)


山形城主、最上義光の台詞

(3) 駒姫よ… わしは力をつけ、この山形の領主となった。 (B: p.9)

(4) うむ、根本的に人が足りな…。人々こそが国づくり、町づくりの基本じゃ。 (B: p.10)

 このように、<武士言葉>に西日本型の語法が用いられた例は、江戸時代から存在する[5]
 全国の武士の共通語は、江戸時代前期、17世紀の前半に成立した。前述の通り、当時の江戸は方言雑居の状態であり、到底支配層の共通語となれるようなものではなかった。一方、上方語は王城の地の言葉として高い威信を持っていた。そのため、西日本型の言葉が武士の共通語となったのである[5] [6]。このような実態がやがてステレオタイプとして確立し、役割語としての<武士言葉>を生むこととなった。
 時代が経つにつれ、東日本型の言葉が上層へと浸透していったが、それでも、大奥のように上方語の影響の強い世界は存在した。大奥には上方出身者が多かったからである。そのため、幕末には将軍が断定に「だ」を用いるのに対し、御台所は「じゃ」を用いるという状況が生じていた[6]
 その影響か、フィクション中の役割語でも、(5)~(8)のように、お姫様、女王様などの高貴な女性の言葉づかいとして、「ぬ」、「おる」、「じゃ」などの西日本型の語法が用いられることは少なくない。

姫の台詞

(5) 赤といえば、神内和牛あかの日じゃ

神内和牛あか 姫とバーヤとあか牛 売り場・焼き肉篇


地下帝国の女王の台詞

(6) 黙れ、真人は負けてはおらぬ! 戦略的撤退中なのじゃっ! (C: p.204)


スフィンクス(女性型モンスター)の台詞

(7) ならば、この部屋からは一生出すわけにはゆかぞえ (D: p.124)

(8) よくぞ答えた、正解じゃ。 (D: p.125)

 また、自称の「わし」や西日本型の語法は、老人や武士、高貴な女性などの台詞に限らず、(9)~(13)のように、尊大な男性の台詞にも広く用いられている。

社長、ラオモト・カンの台詞

(9) よいか?仮にワシが、視察先で財布を落としたとする。ワシはそれを拾わ。SPも拾わ。捨て置くのだ。何故かわかるか?なぜならそれを拾う動作に費やされる時間!その損失!ワシが回しておる経済規模を鑑みれば、それは落とした財布のくだら中身とはまるで比べ物にならからだ!

「ニンジャスレイヤー」 ブラッドレー・ボンド、フィリップ・N・モーゼズ:著 本兌有、杉ライカ:訳


悪魔、アクワールの台詞

(10) 恐れることはない。わしは何もせ (D: p.172)

(11) といっても、人間が勝手に悪魔だと呼んどるだけだがな…… (D: p.172)


同人作家、大豪寺番の台詞

(12) 神崎リョウはおるかっ!! (E: p.137)

(13) それくらいのことがわから貴様ではあるまい! (E: p.138)

 このように、尊大な台詞で西日本型の語法が用いられる理由として、「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」では、江戸時代の<武士言葉>や<老人語>の伝統、学問用語としての漢文訓読体、そして、明治時代に書生の間で流行していた西日本方言の影響を挙げている。

 さて、以上は、西日本方言がかつて高い威信を誇る言葉であった事実に基づいて成立した役割語の例だが、それとは反対に、西日本方言が<田舎言葉>として使われた例も少なくない。西日本方言の「非標準語」という側面を強調することで生まれたものだろう。

老水夫、ホリスンの台詞

(14) ふふ、船長と同じことを言いよるのう。けんど、この海で五十年暮らしてきたわしの言うことじゃ。信じてくださらかの (F: p.82)


神学生、ホマー・ブルートの台詞

(15) 今、ちょうど精進期でな、で、わしは神様にお仕えしとる身だもんで、金貨一千枚もらっても精進を破ろうたあ思わのだな (「ヴィイ」 G: p.165)

(16) なんと、こりゃ魔女だわい (同上 G: p.166)

 (14)は<老人語>とも解釈できるが、「けんど」という訛りがあることから、<田舎言葉>としての側面も兼ね備えていることが窺える。
 一方、(15)~(16)は若者の台詞であり、<老人語>と解釈することはできない。ホマー・ブルートはキエフの神学校の生徒だが、作中の描写からは田舎の出身であることがわかる。ならば、(15)~(16)に含まれる非標準的要素は、<田舎言葉>として用いられたものと見なすのが妥当であろう。

 さて、その高い役割語度[7]のためか、<老人語>(あるいはそれに類する西日本型語法)は「遊びとしてのキャラ変え」[8]や「役割語のずらし(キャラクターを特徴づけるために、予測される役割語と異なる言葉を使わせること)」[9]でもよく使われる。例えば(17)は、いきなり<老人語>を用いることで一時的に権威あるキャラクターを発動するという「遊びとしてのキャラ変え」の例である。

(17) ファッション雑誌を開くのじゃ

「Yeah!めっちゃホリディ」 作詞:つんく 歌:松浦亜弥

 また、(18)~(19)は「役割語のずらし」の例である。話し手は幼女の姿をしたキャラクターだが、その容姿に似合わず、(18)~(19)のような言葉を使う。これにより、姿と言葉づかいのギャップを生み出し、キャラクターを強く印象づけているのだ。

ナイトゴーント、ナッ子の台詞

(18) どこかに邪神でもおれば… しかし地球ではめったにおらんし… (H: p.51)

(19) 待っておるじゃぞ 我もかっこいいのを作るのじゃっ (H: p.141)


 さて、このように、フィクションでは多用されている<老人語>だが、現実の人物の発話の引用や翻訳に用いられることは少ない。
 例えば、バラエティー番組やドキュメンタリー番組で外国の老人の発言を吹き替える際には、しばしばわざとらしいまでのしわがれ声を出して年寄りらしさを演出する。だが、その時に「わし」、「じゃ」などの<老人語>が使われることはあまり多くない。
 また、インタビュー記事などを翻訳する際は、しばしば性差を強調したタメ口に訳される[10]。だが、話し手が老人だからといって<老人語>が多様されるかというと、決してそうではない。

マカオのオイスターソース職人(当時84歳)の発言

(20) 祖父の代から作り方は変わってないよ。変わったことといえば、自家製の蠔水を使わなくなったことぐらいだ (I: p.75)


シルヴェスター・スタローン(当時68歳)の発言

(21) 僕自身、そんなことが可能だろうか? って思ったよ。それこそ何時間も何時間も電話で話をして、何か月もかけて粘り強く交渉したんだ。

『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』シルヴェスター・スタローン 単独インタビュー - シネマトゥデイ


ロバート・デ・ニーロ(当時70歳)の発言

(22) あれはウソだよ。原作では、あそこまで細かく語っていないんだ。

『マラヴィータ』ロバート・デ・ニーロ 単独インタビュー - シネマトゥデイ

 このように、高齢の人物の発言だからといって、「祖父の代から作り方は変わっとらんよ。」、「わし自身、そんなことが可能じゃろうかと思うたわい。」、「原作では、あそこまで細かく語っておらんのじゃ。」のような<老人語>には訳されていない。<老人語>は役割語度の高い言葉づかいなので、濫用すると嘘っぽくなってしまうからだろう。
 とはいえ、現実の人物の発言の引用、翻訳に<老人語>が全く使われないかといえば、必ずしもそうとは言えない。数こそ多くはないが、(23)~(25)のような実例もある。

エイブラハム・リンカンの父、トーマス・リンカンの発言 

(23) エイブのやつァ、まだ教育とかに夢中なんじゃろう。わしは止めようとしたんだが、思い込みがはげしくて、どうにもなら。 (J: p.25)


薬研温泉の近所に住む老人の発言

(24) 長いこと生きとるが残念ながらわしゃ、河童をみたことないがぁ (K: p.94)


上院議員の発言

(25) わしゃホットドッグが食べたいよ (L: p.59)



 さて、役割語について調べていた所、次のような記事を見つけた。

 役割語:わしは博士じゃ!

 役割語という概念を紹介し、さらに主な役割語の由来を説明した記事だが、<老人語>については次のように述べられている。

 一説にこの老人語の成立には明治維新が関わっているとされています。維新後、各地に遣われた明治政府の役人たちは皆薩長土肥の出身者ばかり。必然全国のお偉方は揃って自らのお国言葉である「わし」「~じゃ」のような言葉を遣うようになります。そのため地位の高い彼らの言い回しが当時流行し時が経つにつれ老人だけが使う言葉になったとも、役人たちの頑固・尊大な態度と老人のそのような性質が結びついて役割語化したとも言われています。

 <老人語>の由来を維新の元勲に求める説は、1999年発行の「越後・佐渡 方言散策」(野口幸雄 新潟日報事業社)にも載っている。また、ウィキペディアの「老人語」の項目でも紹介されている。しかし、上で述べたように、役割語としての<老人語>は、実際には江戸時代に成立している。「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」以降の役割語に関する本で、<老人語>の成立が江戸時代という説を否定したものは見たことがないから、これはもはや定説になっていると考えてよかろう。

 また、上の記事では<田舎言葉>について次のように述べられている。

 また、有名かつ広く使われている役割語がいわゆる「エセ方言」。「おら」「~だべ」「~ずら」などの「田舎言葉」は今時コントや漫画に出てくるくらいかもしれませんが、発祥はNHKのドラマらしいです。当時方言考証など適当なまま各地の方言を組み合わせて脚本を書いた結果、どこの地にも存在しない「田舎言葉」のステレオタイプができたということです。

 「らしいです。」、「いうことです。」と伝聞として書いているが、誰が言っていたのか。ついでに、「当時」というのはいつのことなのか。
 なお、実際には、東日本型の<田舎言葉>のルーツは江戸時代というのが定説である[5]

 このように、「ヤブカブ~言語学小全~」の記述には定説と異なるものも多い。だが、定説を覆そうとして異説を述べているのではなさそうだ。なぜなら、覆すどころか定説に触れてすらいないからである。ここまで綺麗に無視されると、そもそも<老人語>や<田舎言葉>の成立に関する定説を知らないのではないかと疑いたくなってくる。


用例出典
A: 「ドラえもん 24」 藤子・F・不二雄 小学館
B: 「学習まんが やまがた人物館 2」 山形県連合小学校長会:編
C: 「アストロ! 乙女塾! 僕は生徒会長に恋をする」 本田透 集英社スーパーダッシュ文庫
D: 「モンスター・コレクション改訂版(中)」 安田均、グループSNE 富士見文庫
E: 「オトコの娘ラヴァーズ!!」 吉田悟郎 ミリオン出版
F: 「キャラクター・コレクション(下)」 安田均、グループSNE 富士見文庫
G: 「外套・鼻」 ニコライ・ゴーゴリ 吉川宏人:訳 講談社文芸文庫
H: 「這いよれ! スーパーニャル子ちゃんタイム 1」 逢空万太:原作 星野蒼一朗:漫画 フレックスコミックス
I: 「スカイワード」2012年8月号 日本航空
J: 「伝記世界を変えた人々 16 エイブラハム・リンカン」 アンナ・スプロウル:著 茅野美ど里:訳 偕成社
K: 「スカイワード」2014年12月号 日本航空
L: 「オオカミ少女はいなかった」 鈴木光太郎 新曜社


[1] 役割語
[2] 老人語
[3] 「現代日本語方言大辞典 第6巻」 明治書院
[4] 「日本語方言辞典 下巻」 藤原与一 東京堂出版
[5] 「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」 金水敏 岩波書店
[6] 「江戸時代の国語 江戸語」 小松寿雄 東京堂出版
[7] 「ある話体が、特徴的な性質の話し手を想定させる度合い」(p.67) [5]
[8] 日本語社会 のぞきキャラくり 第10回 遊びならOKでおじゃる 定延利之
[9] 「現代日本語の役割語と発話キャラクタ」 金水敏(「役割語研究の展開」 金水敏:編 くろしお出版)
[10] なぜ洋画とかの吹き替えはしゃべり方が不自然ですか