(2015年9月4日 大幅に書き直し)
今や、漫画やライトノベルに男の娘――女装した可愛い男の子が登場することは珍しくない。2010年には、「わぁい!」に「おと☆娘」と、専門誌が相次いで2つも誕生したくらいだ。「男の娘もの」は、すでに物語の1ジャンルとして確固たる地位を築いたと言えよう。
さて、現実・虚構問わず、おかま、ニューハーフ、オネエ、ドラァグクイーン、女装家……などと呼ばれる人は、自らの女性性を強調するためか、過剰なまでに<女言葉>を使う。「仮面(ペルソナ)としての役割語」[1]の典型的な例だろう。
なお、上で出てきた「役割語」という用語だが、これは、大阪大学教授の金水敏氏が提唱した、「特定の人物像を思い浮かべることのできる言葉づかい」を指す概念である。特に、翻訳やフィクションで用いられるステレオタイプな言葉づかいを指すことが多い。
以下に実例を挙げてみよう。(1)はタレントのマツコ・デラックス氏の発言、(2)は小説「ニンジャスレイヤー」の登場人物、ザクロの台詞だ。なお、引用文中の下線は引用者によるものである。
一方、男の娘の言葉づかいはどうなのだろうか? 役割語にとって特に重要な指標となるのは自称と文末表現なので[1]、この2点に注目して調べてみた。
1. 「オトコの娘カルタ」の読み札の調査
「オトコの娘カルタ」(インフォレスト)は、さまざまなシチュエーションにおける男の娘44人の台詞を読み札にしたカルタである。
「あ」~「わ」の44枚の読み札のうち、キャラクターの自称が出てくるものは14枚。その内訳は、「僕」が8つ、「俺」が4つ、「私」が1つ、併用が1つだ(「僕」と「ボク」などの表記違いは同じものと見なした)。なお、併用というのは、以下の(3)に示す「と」の読み札である。
友達をからかっているシーンだ。正体を明かしてからは「僕」と言っていることから、「私」という自称はあくまで冗談であることがわかる。
また、「私」だけを使っている1例は、(4)に示す「こ」の読み札にある。
また、文末表現に注目してみると、44枚すべてが男性的あるいは中立的なものであり、「~わ。」、「~かしら。」などといった典型的な<女言葉>を使っている例は1つもなかった。なお、(5)に示す「ふ」の読み札では「~の。」という文末表現を用いている。
平叙文での終助詞「の」は、<女言葉>と見なされることが多い[1]。だが、実際には、(6)~(9)のように、現実・虚構問わず、男が使う例も少なくない。
ここから考えるに、終助詞「の」を<女言葉>に分類するのは適当ではないと言える。そのため、ここでは終助詞「の」は中立的な表現と見なし、(5)は<女言葉>の例には含めない。
2. 漫画・小説の例
以下の漫画8作品、小説3作品に登場する男の娘について調べてみた。
A:「さざなみチェリー」 (神吉 一迅社)
B:「オンナノコときどきオトコノコ」 (ひねもすのたり)
C:「すずのね」 (日辻ハコ 一迅社)
D:「ひみつの悪魔ちゃん」 (ゑむ 一迅社)
E:「ののの。」 (冬凪れく)
F:「ぱすとふゅーちゃー」 (高槻ツカサ)
G:「女の武器が使えてこそ男の娘です。」 (上田裕)
H:「ミントな僕ら」 (吉住渉 集英社)
I:「もえぶたに告ぐ」 (松岡万作 HJ文庫)
J:「深山さんちのベルテイン」 (逢空万太 GA文庫)
K:「男子高校生のハレルヤ」 (一之瀬六樹 GA文庫)
A~Gは、男の娘専門誌「わぁい!」Vol.1、Vol.2に掲載されていた漫画である。そのうち、EとGは読み切りの短編、それ以外は連載作品だ。連載作品については、「わぁい!」Vol.3以降に掲載されたエピソードも対象にした。
なお、「リバーシブル!」、「迷elleオトコノ娘」、「おんなのこらいふ!」の3作品は主要な登場人物が男の娘ばかりという作品であり、男の娘という属性が作中でのキャラづけにおいて強い意味を持たないので、サンプルからは除外した。
また、Hは少女漫画、I~Kはライトノベルである。
上の11作品に登場する男の娘13人について、自称と女性的文末表現の有無を調べてみた。
まずは自称に注目してみる。
日常的に使っている自称の内訳は「俺」が3つ、「僕」が5つ、「私」が4つ、名前が1つ。カルタの例に比べると、「私」の使用頻度が高いことがわかる。
なお、(ト)の「『私』を使っている例」は冗談あるいは演技であり、素の台詞ではない。また、「『僕』を使っている例」はモノローグだが、(12)以外のシーンでは、モノローグでも「俺」を使っている。
続いて文末表現を見てみる。
13人のうち、(ロ)の文末表現は、典型的な<女言葉>のそれだ。以下に示す第3話の最終コマの台詞などは、その好例だ。
一方、それ以外の男の娘キャラの台詞には、女性的な文末表現は見られない。
以上の例を見る限り、男の娘キャラで典型的な<女言葉>を使っているものは少数派と言える。自称に「私」を使う例は多少あったが、女性的な文末表現は1例のみだ。自称と文末表現では、後者の方が役割語としての効果が強いというが[2]、だとすれば、男の娘キャラの言葉づかいはさほど女性的ではないということになる。
一方、前述の通り、おかまキャラはしばしば過剰なまでに女性的な表現を用いる。すなわち、おかまキャラと男の娘キャラの言葉づかいはあまり似ていないのだ。
おかまキャラも男の娘キャラも、「女のような男」という点で共通しており、しばしば混同される。だが、この両者は別物と考えるべきである。なぜなら、おかまキャラと男の娘キャラの間には、容姿と言葉づかいという2点において大きな差異が存在するからだ。
フィクション(特にギャグ色の強い作品)において、いわゆるおかまキャラは、時に極端に男性的な特徴(大きな体、濃い体毛、低い声など)の持ち主として描かれる。それでいて過剰なまでの<女言葉>を用いるというギャップがキャラクターを強く印象づけるのだ。
その一方で、いわゆる男の娘キャラは、ほとんど女の子と変わらない容姿の持ち主として描かれることが多い[3]。それでありながら、上で述べたように、男の娘キャラが典型的な<女言葉>を用いることは少ない。
このように、おかまキャラと男の娘キャラは、容姿と言語という面において描かれ方が全く対照的なのだ。「女のような男」という共通点だけで同一視すべきではない。
しかしながら、上記のようなことが当てはまるのは比較的新しい作品に限った話である。「女装した可愛い男の子」が独立した萌え属性として認められるようになったのはごく最近のことだからだ。例えば、「ストップ!! ひばりくん!」(1981年~)の大空ひばりは可愛らしい容姿の持ち主だが、あくまで「おかまキャラ」として描かれており[4]、その言葉も女性的文末表現の目立つものであった。このように、古い作品ではおかまキャラと男の娘キャラの区別は曖昧であり、いちいちカテゴリー分けをおこなう意味は薄いのだ。
[1] 「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」 金水敏 岩波書店
[2] 自称詞「ぼく」と女性キャラクター ―いわゆる「ボクっ娘」の役割語的分析 冨樫純一、浅野総一郎
[3] 男の娘キャラが男らしさを見せる場面もあり、その場面が物語の中で重要な役割を果たしていることも少なくないのだが、ここではあくまで女装時の容姿について述べている。
[4] ストップ!! ひばりくん!
なお、上で出てきた「役割語」という用語だが、これは、大阪大学教授の金水敏氏が提唱した、「特定の人物像を思い浮かべることのできる言葉づかい」を指す概念である。特に、翻訳やフィクションで用いられるステレオタイプな言葉づかいを指すことが多い。
以下に実例を挙げてみよう。(1)はタレントのマツコ・デラックス氏の発言、(2)は小説「ニンジャスレイヤー」の登場人物、ザクロの台詞だ。なお、引用文中の下線は引用者によるものである。
(1) 「食べた瞬間にね、もうすでに運命を感じていたというか、出ちゃうんじゃないかしらあたし、CMっていうね。」「そう、そんな、何か感じたのよね、運命。」
(北海道米「ななつぼし」PR マツコ・デラックスさんら)
(2) アータの真剣さはアタシに伝わったわ。きっと皆もわかってくれる……でもね、あなたの愛が、愛する人を恐れさせたり、傷つけたりしたら、それはとっても哀しい事よね?
(「ニンジャスレイヤー」 ブラッドレー・ボンド、フィリップ・N・モーゼズ 訳:本兌有、杉ライカ)
一方、男の娘の言葉づかいはどうなのだろうか? 役割語にとって特に重要な指標となるのは自称と文末表現なので[1]、この2点に注目して調べてみた。
1. 「オトコの娘カルタ」の読み札の調査
「オトコの娘カルタ」(インフォレスト)は、さまざまなシチュエーションにおける男の娘44人の台詞を読み札にしたカルタである。
「あ」~「わ」の44枚の読み札のうち、キャラクターの自称が出てくるものは14枚。その内訳は、「僕」が8つ、「俺」が4つ、「私」が1つ、併用が1つだ(「僕」と「ボク」などの表記違いは同じものと見なした)。なお、併用というのは、以下の(3)に示す「と」の読み札である。
(3) と:隣……いいかな。……ねぇ、私誰だか判らない? そう、僕だよ、僕!
友達をからかっているシーンだ。正体を明かしてからは「僕」と言っていることから、「私」という自称はあくまで冗談であることがわかる。
また、「私」だけを使っている1例は、(4)に示す「こ」の読み札にある。
(4) こ:告白するね……。じつは私……、えっと、その……、ホントはオトコ……なんだ
また、文末表現に注目してみると、44枚すべてが男性的あるいは中立的なものであり、「~わ。」、「~かしら。」などといった典型的な<女言葉>を使っている例は1つもなかった。なお、(5)に示す「ふ」の読み札では「~の。」という文末表現を用いている。
(5) ふ:普段の冴えない自分が嫌いだった……。違う人間へ変わりたかったの……
平叙文での終助詞「の」は、<女言葉>と見なされることが多い[1]。だが、実際には、(6)~(9)のように、現実・虚構問わず、男が使う例も少なくない。
幼稚園児、マサシの台詞
(6) ぴぽくんが ぼくを たすけてくれたの。 (「きゅうきゅうしゃのぴぽくん」 砂田弘 偕成社 p.44)
ドラえもんの台詞
(7) こいでる人とか生物はコピーされないの。 (「ドラえもん」45巻 藤子・F・不二雄 小学館 p.76)
イエスの台詞
(8) 私はライ麦的なパンにしかできないの! (「聖☆おにいさん」1巻 中村光 講談社 p.73)
原武史氏の発言
(9) だから簡単に免許が下りたし、線路幅に関しても1435ミリのままでお咎めなしだったの。 (「鉄塾」 中川家礼二、原武史 ヨシモトブックス p.64)
ここから考えるに、終助詞「の」を<女言葉>に分類するのは適当ではないと言える。そのため、ここでは終助詞「の」は中立的な表現と見なし、(5)は<女言葉>の例には含めない。
2. 漫画・小説の例
以下の漫画8作品、小説3作品に登場する男の娘について調べてみた。
A:「さざなみチェリー」 (神吉 一迅社)
B:「オンナノコときどきオトコノコ」 (ひねもすのたり)
C:「すずのね」 (日辻ハコ 一迅社)
D:「ひみつの悪魔ちゃん」 (ゑむ 一迅社)
E:「ののの。」 (冬凪れく)
F:「ぱすとふゅーちゃー」 (高槻ツカサ)
G:「女の武器が使えてこそ男の娘です。」 (上田裕)
H:「ミントな僕ら」 (吉住渉 集英社)
I:「もえぶたに告ぐ」 (松岡万作 HJ文庫)
J:「深山さんちのベルテイン」 (逢空万太 GA文庫)
K:「男子高校生のハレルヤ」 (一之瀬六樹 GA文庫)
A~Gは、男の娘専門誌「わぁい!」Vol.1、Vol.2に掲載されていた漫画である。そのうち、EとGは読み切りの短編、それ以外は連載作品だ。連載作品については、「わぁい!」Vol.3以降に掲載されたエピソードも対象にした。
なお、「リバーシブル!」、「迷elleオトコノ娘」、「おんなのこらいふ!」の3作品は主要な登場人物が男の娘ばかりという作品であり、男の娘という属性が作中でのキャラづけにおいて強い意味を持たないので、サンプルからは除外した。
また、Hは少女漫画、I~Kはライトノベルである。
上の11作品に登場する男の娘13人について、自称と女性的文末表現の有無を調べてみた。
作品 | 登場人物名 | 自称 | 女性的文末表現 | 備考 | |
---|---|---|---|---|---|
(イ) | A | 高野漣 | ボク | なし | 女装していない時は「僕」 |
(ロ) | B | 水原あきら | 私 | あり | |
(ハ) | C | 天野涼音 | 僕 | なし | 事情を知らない人の前では「私」 |
(ニ) | C | ひなた | 私 | なし | |
(ホ) | D | 泥門小紅 | ボク | なし | |
(ヘ) | E | のの | のの | なし | |
(ト) | F | 朱莉鹿児 | 俺 | なし | 「僕」・「私」を使っている例もあり |
(チ) | G | ひろ | ぼく | なし | |
(リ) | H | 南野のえる | 俺 | なし | |
(ヌ) | I | 高嶺萌蔵 | 私 | なし | モノローグでは「僕」 |
(ル) | J | 深山琥太郎 | わたし | なし | |
(ヲ) | K | 山田真理 | 僕 | なし | |
(ワ) | K | 武里祐紀 | オレ | なし |
まずは自称に注目してみる。
日常的に使っている自称の内訳は「俺」が3つ、「僕」が5つ、「私」が4つ、名前が1つ。カルタの例に比べると、「私」の使用頻度が高いことがわかる。
なお、(ト)の「『私』を使っている例」は冗談あるいは演技であり、素の台詞ではない。また、「『僕』を使っている例」はモノローグだが、(12)以外のシーンでは、モノローグでも「俺」を使っている。
(10) 私のために 争わないでえー (「ぱすとふゅ~ちゃ~」1巻 p.96-97)
(11) じゃあ 私からしてもいい? (「ぱすとふゅ~ちゃ~」2巻 p.22)
(12) そう つまり これは 僕の―― 完全敗北 (「ぱすとふゅ~ちゃ~」2巻 p.5-6)
続いて文末表現を見てみる。
13人のうち、(ロ)の文末表現は、典型的な<女言葉>のそれだ。以下に示す第3話の最終コマの台詞などは、その好例だ。
(13) もし私がお嫁に行ったらどうすんのよ (「オンナノコときどきオトコノコ」 p.66)
一方、それ以外の男の娘キャラの台詞には、女性的な文末表現は見られない。
以上の例を見る限り、男の娘キャラで典型的な<女言葉>を使っているものは少数派と言える。自称に「私」を使う例は多少あったが、女性的な文末表現は1例のみだ。自称と文末表現では、後者の方が役割語としての効果が強いというが[2]、だとすれば、男の娘キャラの言葉づかいはさほど女性的ではないということになる。
一方、前述の通り、おかまキャラはしばしば過剰なまでに女性的な表現を用いる。すなわち、おかまキャラと男の娘キャラの言葉づかいはあまり似ていないのだ。
おかまキャラも男の娘キャラも、「女のような男」という点で共通しており、しばしば混同される。だが、この両者は別物と考えるべきである。なぜなら、おかまキャラと男の娘キャラの間には、容姿と言葉づかいという2点において大きな差異が存在するからだ。
フィクション(特にギャグ色の強い作品)において、いわゆるおかまキャラは、時に極端に男性的な特徴(大きな体、濃い体毛、低い声など)の持ち主として描かれる。それでいて過剰なまでの<女言葉>を用いるというギャップがキャラクターを強く印象づけるのだ。
その一方で、いわゆる男の娘キャラは、ほとんど女の子と変わらない容姿の持ち主として描かれることが多い[3]。それでありながら、上で述べたように、男の娘キャラが典型的な<女言葉>を用いることは少ない。
このように、おかまキャラと男の娘キャラは、容姿と言語という面において描かれ方が全く対照的なのだ。「女のような男」という共通点だけで同一視すべきではない。
しかしながら、上記のようなことが当てはまるのは比較的新しい作品に限った話である。「女装した可愛い男の子」が独立した萌え属性として認められるようになったのはごく最近のことだからだ。例えば、「ストップ!! ひばりくん!」(1981年~)の大空ひばりは可愛らしい容姿の持ち主だが、あくまで「おかまキャラ」として描かれており[4]、その言葉も女性的文末表現の目立つものであった。このように、古い作品ではおかまキャラと男の娘キャラの区別は曖昧であり、いちいちカテゴリー分けをおこなう意味は薄いのだ。
[1] 「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」 金水敏 岩波書店
[2] 自称詞「ぼく」と女性キャラクター ―いわゆる「ボクっ娘」の役割語的分析 冨樫純一、浅野総一郎
[3] 男の娘キャラが男らしさを見せる場面もあり、その場面が物語の中で重要な役割を果たしていることも少なくないのだが、ここではあくまで女装時の容姿について述べている。
[4] ストップ!! ひばりくん!