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日本語

「もふもふ」補遺

https://twitter.com/kaichosanEX/status/903820796388294656

 「もふもふ」という語とその広まりについては、2016年7月4日に記事にした。

 この語のネットスラングとしての使用は、少なくとも2005年までさかのぼることができる。また、オフラインでの使用例も、2012年までさかのぼることができる。
 だが、2016年7月4日の記事で挙げた2012~2015年の用例は、漫画の台詞やアニメソングの歌詞など、いわゆるおたく向けの媒体に限られていた。ネットスラングやおたく用語とは縁遠そうな「週刊新潮」での用例が見られたのは、2016年のことだ。

 では、「もふもふ」という語がネットスラングやおたく用語の域を超え、一般に広く使われるようになったのは2016年以降のことなのだろうか? 否、そうとも言い切れない。

 先日、次のような用例を見つけた。

もふもふした体毛につぶらな瞳と、一見可愛らしい風貌だが、実はなかなかパワフル。 (「ふしぎルックス珍獣ずかん」 珍獣コレクター編集部 宝島社 2013年 p. 51)

もふもふとした体毛に愛嬌のある顔立ちで、動物界きっての癒し系アイドル。 (同上 p. 76)

(下線は引用者によるもの)

 これは、2013年に発行された動物の本の解説の文章である。つまり、いわゆるおたく向け媒体以外での「もふもふ」の使用例は、少なくとも2013年までさかのぼることができるのだ。
 なお、「ふしぎルックス珍獣ずかん」では、「もふもふ」という表現に引用符も註釈もつけていない。これはすなわち、2013年の時点で「もふもふ」がごく普通の表現と認識されていたということでもある。

一匹狼

 「実践日本語教育を学ぶ人のために」(佐々木瑞枝 世界思想社 2011年)という本には、次のような記述がある。

 「一匹狼」という言葉は男性に使われます。 (中略) いくら女性の地位が向上したとはいえ,「一匹狼」で女性を表すことはありません。 (p.215)

 「一匹狼」という表現が女性に使われている例はほとんどありません。「一匹狼」は必ず男性を指すという暗黙の了解があるからです。 (p.217)

 大嘘である。

(1) 一匹狼の女性がモテる理由6つ。一匹狼女子はモテ要素が詰まっている (「イケジョ通信」 2015年)

(2) 女子同士で群れない「一匹狼女子」が魅力的な理由9パターン (「オトメスゴレン」 2016年)

(3) 群れない一匹狼女子は魅力的。性格や特徴から紐解く男性にモテる理由とは? (「Smartlog」 2017年)

(下線は引用者によるもの)

 このように、女性を「一匹狼」と表現する例は、決して珍しいものではないのだ。

 そして、女性を「一匹狼」と表現することは、決してごく最近生まれた用法などではない。「実践日本語教育を学ぶ人のために」の発行前にも、以下のような「一匹狼」の用例が存在する。

(4) 一匹狼のわたし、ママ友グループからはどう見られてる? (「発言小町」 2009年)

(5) インタビュー:南明奈「マドンナじゃない、一匹狼の高校生でした」 (「ライブドアニュース」 2009年)

(6) 大人の魅力を持つ 誇り高き一匹狼 (「テレビアニメ東京ミュウミュウ公式ファンBOOK」 講談社 2003年 p.13)

 (4)は母親、(5)は女性タレント、(6)は女性キャラクターを「一匹狼」と表現した例である。

 なお、これだけの用例を見つけ出すのに、素人である私が要した時間は数分である。

 佐々木氏は、日本語のジェンダー表現をライフワークとする学者である。そんな先生が、素人が片手間でこなせる調査すら怠るとは、一体どういう料簡であろうか。読者を馬鹿にしているとしか思えない。

【YOU】年上の人に使える二人称は?【あなた】


 【YOU】年上の人に使える二人称は?【あなた】 (言語学板

1 : 名無し象は鼻がウナギだ![sage] 投稿日:03/05/05 06:33
日本語では、年上の人に向かって「あなた」とは言えません。
何か適切な言葉はありますか?
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大和言葉は美しくない

 ここ1年ほど、書店のマナー本のコーナーで、「大和言葉」をテーマにした本をよく見る。だが、それらの多くは、読むものにあきれや怒りの感情をもたらす、すさまじいまでの与太本である。

 「与太本」と判断する最大の理由は、「大和言葉」と題しておきながら、平気で漢語や混種語を列挙していることである。「馬(うま)」や「梅(うめ)」といった、一見大和言葉に見えるが実は中国語起源とされる語のことではない。音読みの漢字でできた、一目でそれとわかる漢語だ。

 例えば、「大和言葉のこころえ」(山岸弘子:監修 ギャンビット)では「粗茶(p.40)」、「食事(p.52)」、「悲喜(p.81)」、「有卦(p.149)」、「如才(p.152)」といった漢語が「大和言葉」として紹介されている。
 また、この本の巻末には、現代語を「大和言葉」に言い換えた例として、以下のようなものが挙げられている(下線は引用者によるもの。本では色違いの文字が使われている)。

薄暗い朝方に → かたわれどきに p.182
競馬にはまっている → 競馬にうつつを抜かす p.186
成績がよくない → 成績が芳しくない p.187

 言い換えるも何も、「現代語」の時点ですでに大和言葉だ。
 もっとひどい例もある。

恥ずかしいけれど → は文字ながら p.183
見かけだおしの紳士 → 銀流しの紳士 p.187
わずかな望みはある → 一縷の望みはある p.187

 「文字」も「銀」も「一縷」も漢語だ。大和言葉を漢語に言い換えてどうするのだ。

 しかも、これは著者の無知によるものではない。著者は、明らかにわかった上で漢語を載せているのだ。このことは、42ページの記述からうかがい知ることができる。ここには「水菓子」という見出しが設けられているのだが、そこに付された解説には、以下のような一文が存在するのだ。

「菓子」は漢語ですが、「くだもの」は和語(大和言葉)です。 p.42

 読者を馬鹿にしているとしか思えない。

 さて、「品のよい日本語と大人のたしなみ」という副題がつけられていることから、また、章末にマナーの解説が載っていることから、この本では、「大和言葉」を「美しく上品で丁寧な日本語」として紹介しようとしてることがうかがえる。
 だが、そもそも大和言葉というのは、日本語固有の語・形態素のことであって、決して美しい日本語、上品な日本語、丁寧な日本語のことではない。いくら美しく、上品で、丁寧な表現を掲載していようとも、それが漢語であったなら、「大和言葉」の本としての価値は地に落ちる。
 なお、「この本の『大和言葉』の定義は一般的なものと違うのではないか?」と思われた方もいるかもしれないが、そんなことはない。以下に示すように、「大和言葉のこころえ」の6ページには次のようなに書かれている。

 現在、使われている日本語には、中国から取り入れた「漢語」、中国以外の国から入ってきた「外来語」、そして日本で生まれた「大和言葉」が入り乱れています。 p.6

 この通り、ごく一般的な使われ方である。

 さて、ひどいのはこの本だけではない。上で述べたように、最近1年くらいの間に出た「大和言葉」関連本は、大半がそうである。そして、本だけでなく、「大和言葉ブーム」を取り上げたネット上の記事も同様に滅茶苦茶な代物ばかりである。
 大部にはなりづらいニュース記事やブログ記事ゆえ、挙げられる実例も少なく、そのため漢語が列挙されることも少ないのだが、それでも「大和言葉」について明らかに誤解している記事は珍しくない。軽く検索してみただけでも、以下のようなものを見つけることができる。

「マジヤベー!」に疲れたあなたは、以下の書籍を読んでみてはいかがでしょうか。

大和言葉の言い換え一覧!ズムサタで紹介され話題に

 「マジヤベー」はれっきとした大和言葉だ。

「待っています」よりも「心待ちにしています」の方が、言われた相手は嬉しく感じられるもの。

このように、大和言葉はコミュニケーションを手助けしてくれる言葉です。

大和言葉とは?日本人なら知っておきたい美しい日本語です

 「待っています」も、「心待ちにしています」も、どちらも大和言葉だ。

たしかに、美しい言葉は耳に心地がいいいが、私たちが日常で大和言葉を多用するのは口幅ったいような気も。

話題の大和言葉 「先刻」を「いましがた」にすれば印象変わる

 むしろ、漢語を多用する方が口幅ったく聞こえる。「失念と言えば聞きよい物忘れ」という川柳に代表されるように、漢語には小難しい、専門的、高級、衒学的というイメージがあるからだ。

 繰り返すが、「大和言葉」というのは、決して美しい言葉のことではない。大和言葉で下品な発言だっていくらでもできるのだ。それこそ、「くそじじい、くたばりやがれ!」だって立派な大和言葉だ。

古文・漢文は高校の授業科目から外すべき!


 古文・漢文は高校の授業科目から外すべき! (古文・漢文板

1 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/11/03(木) 13:06:38.61 ID:nB5Q5pT3.net
古文・漢文は実学からかけ離れすぎている。
こんなものを全員に覚えさせて、日本の将来を担う若者の貴重な時間を割いていては、
今後の経済戦争で外国に負けるのである。

やるとしても、高校授業や大学受験の内容からは大幅に内容・配点を縮小すべきである。
やりたいヤツは大学の専門課程の中でやれば良い。

授業科目群の内容を見直すべきである

 高校生の時、古文の授業で、福沢諭吉の「学問のすすめ」の初編を読まされた。「学問のすすめ」初編は実学の重要性を説いた文章であり、そこでは、古文は非実用的として退けられている。

 学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

学問のすすめ

 では、実用性がないにもかかわらず、なぜ古文を学ぶのか。その時の先生の言葉は、それは教養のためだというものであった。何となくごまかされたような気分はしつつも、その時は一応納得したのだが、大人になった今思い返してみると、やはりごまかされたとしか思えない。続きを読む
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