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歴史教科書の影響力


 「三国志」に書かれている人物の中に、中学の歴史教科書、高校の日本史教科書のほとんどすべてに名前が出てくる人物がいる。
 それは誰か。続きを読む

学園ものの授業シーン

 部活、生徒会、各種行事……。学校案内や卒業アルバム、さらにはフィクションで好んで取り上げられるこれらの要素も、学校中心でない生活を送る生徒にとっては優先度の低いものなのだ。

 11月28日の記事でこう書いたが、実際、学校のメインである授業もフィクションの中ではなおざりにされがちである。では、一体どれくらいなおざりにされているのだろうか。逆に、学園ものの作品の中で、授業の様子が丁寧に描かれた例はどれほどあるのだろうか。
 実際に調べてみた。

 サンプルとして用いたのは、以下の漫画3作品である。

 「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」1~5巻 谷川ニコ スクウェア・エニックス 54エピソード[1]
 「ぐーぱん!」1~3巻 榛名まお 芳文社 57エピソード[2]
 「ゆるゆり」1~10巻 なもり 一迅社 108エピソード[3]

 以上の計219エピソード中、学校が出てくるエピソードは140話ある。そのうち、授業シーンが登場するエピソードは22、さらに、授業の様子が具体的に描かれているエピソードは13話存在する。

 なお、主人公の通う学校以外の学校が出てきても、それは学校が出てくるエピソードに含めない。例えば、「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!」(以下、「ワタモテ」)4巻の「喪35:モテないし弟を気遣う」には主人公の弟の学校が出てくるが、この話はカウントしていない。

 また、授業開始前、終了後、居残り、校外学習などの場面は授業シーンに含めない。校内で行われる通常の授業の最中を描いたものだけをカウントしている。

 授業の様子が具体的に描かれているというのは、例えば体育ならば何の種目をやっているのかがわかる、数学ならばノートや黒板に書かれた数式が読めるなどのように、授業の具体的な内容が読者にもわかるよう描かれていることを指している。

 具体的に描かれている授業の内訳は、以下の通りである。

 体育:9
 美術:3
 家庭科:2
 理科:1

 絵にした時見栄えがするためか、実技教科、特に体育が多い。なお、数が合わないのは、「ワタモテ」2巻の「喪10:モテないし無表情になる」を理科と体育の両方に、「ゆるゆり」10巻の「66★ガールズパワー全開すぎ!!」を美術と体育の両方にカウントしているからである。

 授業シーンが少ないことは最初からわかっていたが、実際に数字にしてみると、あらためてその少なさが実感できる。
 学校が舞台となるエピソードが全体の半数以上を占めているにもかかわらず、授業の内容が丁寧に描かれた話は、全体の約6%しかないのだ。



[1] 特別編、特別収録、おまけをカウント。
[2] 連載1回分、カラー描き下ろしをそれぞれ1エピソードとしてカウント。
[3] 7巻、9巻のあとがき後のおまけまんがはカウントしない。

大事なのは授業

 先日、興味深い記事を見つけた。

 生徒会のすすめ - 高校生が学校と闘う武器

 高校の生徒会活動が停滞しているのは、生徒が無気力で、自主的な行動など面倒臭いと思っているから――上のリンク先ではそのように主張している。だが、私はそれだけだとは思わない。高校の生徒会活動が停滞しているのは、生徒にとって、学校の自治などろくに価値がないからだ。

 以下、自分の高校時代を思い出して書く。

 高校生には授業が終わったらすぐに帰宅する人も多い。このような生徒にとって、生活の中心は学校ではない。学校は授業を受けるためだけに通う場所にすぎない。
 部活、生徒会、各種行事……。学校案内や卒業アルバム、さらにはフィクションで好んで取り上げられるこれらの要素も、学校中心でない生活を送る生徒にとっては優先度の低いものなのだ。

 そもそも、生徒会には何ができるのか。リンク先から引用してみる。

そんな僕の生徒会時代の成果は、文化祭実行委員会の組織図を変更したりだとか、同好会や部活の成立要件を緩和したりとかだった気がします。

そこで見たものは、制服の指定を緩和したり、生徒会役員の任期や選挙の時期を変更したり、文化祭で模擬店を出せるように規則を変えたりなど、地味なものが多かったように思います。

 地味以前に、どうでもいいことばかりだ。少なくとも、学校中心でない生活を送っている生徒にとっては。

「私の問題」ではなく「私たちの問題」=「共同体の問題」に、「偉い人」が上から解決していくのではなく、末端メンバーの立場から解決していく姿勢は、今後ますます求められてくるでしょう。

 そもそも、「私たちの問題」ではないのだ。ごく一部の生徒にとってのみ重要な問題、すなわち、大半の生徒にとっては「私たちの問題」に見せかけた「他人の問題」なのだ。
 よしんば、「私たちの問題」だとしても、その当事者はすぐに卒業してしまう。一方、天下り的に恩恵を受ける後輩にとっては、見も知らぬ「偉い人」(=OB)が親切にも自分たちの問題を先回りして解決してくれたことになる。結局、どちらにとっても「自分たちのことは誰かに決めてもらうのではなく、自分たちで決めていく」ことにはならない。
 それ以前に学校は共同体じゃないし。利益社会だし。

 高校生にとって本当に重要な問題は、授業、さらには進路である。この点だけは、生活が学校中心であろうとなかろうと変わらない。
 だが、それらは生徒が団結することで解決できるものではない。個人レベルで解決できるものか、あるいは政府レベルで解決すべきものだ。例えば、成績のよしあしなどは前者、学校のカリキュラムや大学入試のシステムは後者だ。個人的な問題に他人を巻きこむべきではないし、また、未成年には参政権がないから、政府レベルの問題についてはどうしようもない。

 繰り返すが、学校でいちばん大切なのは授業だ。それ以外はおまけのようなものだ。カリキュラムに口出しできない生徒会活動など、所詮そのおまけの一部、自治ごっこにすぎない。
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