学問がすべて

つまらないは正義

明治時代のSFガジェット


 自分が泣きたいほどに感動するのは…(ネットという特殊な環境とはいえ)これがウケに受けているということは「タイムリープ」「時間ループ」みたいな概念、さらにはタイムスリップみたいな概念が…まだまだではあろうけど、徐々に徐々に世間一般に浸透している、という、それ自体がうれしいってことです。

時間ループとかタイムパラドックスがここまで「当たり前の教養」となった時代に、涙が出てくる……(日曜民俗学)

 「まだまだ」、「徐々に」どころか、タイムトラベルの概念はとっくの昔に一般に広まっている。
 SFと関係の薄い場所で「タイムマシン」や「タイムトラベル」といった単語が使われることは珍しくないし、また、古に思いを馳せることをタイムトラベルに喩えることも日常茶飯事である。実例としては以下のようなものがある。

(1) タイムトラベルは 楽し メトロポリタン ミュージアム

「メトロポリタン美術館」 大貫妙子:歌・作詞 1984年)


(2) この作者が,タイムマシンに乗って現代に出現したとしても,彼は仰天しながらもそのうち現代生活にしっかり適応できるような気がします.

(「進化と人間行動」 長谷川寿一、長谷川眞理子 東京大学出版会 2000年 p.115)


(3) 弥生時代にタイムスリップ 吉野ヶ里

(「るるぶ九州ベスト '16」 JTBパブリッシング 2015年 p.39)

註:下線は引用者によるもの。

 だが、これは驚くようなことではない。続きを読む

大和言葉は美しくない

 ここ1年ほど、書店のマナー本のコーナーで、「大和言葉」をテーマにした本をよく見る。だが、それらの多くは、読むものにあきれや怒りの感情をもたらす、すさまじいまでの与太本である。

 「与太本」と判断する最大の理由は、「大和言葉」と題しておきながら、平気で漢語や混種語を列挙していることである。「馬(うま)」や「梅(うめ)」といった、一見大和言葉に見えるが実は中国語起源とされる語のことではない。音読みの漢字でできた、一目でそれとわかる漢語だ。

 例えば、「大和言葉のこころえ」(山岸弘子:監修 ギャンビット)では「粗茶(p.40)」、「食事(p.52)」、「悲喜(p.81)」、「有卦(p.149)」、「如才(p.152)」といった漢語が「大和言葉」として紹介されている。
 また、この本の巻末には、現代語を「大和言葉」に言い換えた例として、以下のようなものが挙げられている(下線部は引用者によるもの。本では色違いの文字が使われている)。

薄暗い朝方に → かたわれどきに p.182
競馬にはまっている → 競馬にうつつを抜かす p.186
成績がよくない → 成績が芳しくない p.187

 言い換えるも何も、「現代語」の時点ですでに大和言葉だ。
 もっとひどい例もある。

恥ずかしいけれど → は文字ながら p.183
見かけだおしの紳士 → 銀流しの紳士 p.187
わずかな望みはある → 一縷の望みはある p.187

 「文字」も「銀」も「一縷」も漢語だ。大和言葉を漢語に言い換えてどうするのだ。

 しかも、これは著者の無知によるものではない。著者は、明らかにわかった上で漢語を載せているのだ。このことは、42ページの記述からうかがい知ることができる。ここには「水菓子」という見出しが設けられているのだが、そこに付された解説には、以下のような一文が存在するのだ。

「菓子」は漢語ですが、「くだもの」は和語(大和言葉)です。 p.42

 読者を馬鹿にしているとしか思えない。

 さて、「品のよい日本語と大人のたしなみ」という副題がつけられていることから、また、章末にマナーの解説が載っていることから、この本では、「大和言葉」を「美しく上品で丁寧な日本語」として紹介しようとしてることがうかがえる。
 だが、そもそも大和言葉というのは、日本語固有の語・形態素のことであって、決して美しい日本語、上品な日本語、丁寧な日本語のことではない。いくら美しく、上品で、丁寧な表現を掲載していようとも、それが漢語であったなら、「大和言葉」の本としての価値は地に落ちる。
 なお、「この本の『大和言葉』の定義は一般的なものと違うのではないか?」と思われた方もいるかもしれないが、そんなことはない。以下に示すように、「大和言葉のこころえ」の6ページには次のようなに書かれている。

 現在、使われている日本語には、中国から取り入れた「漢語」、中国以外の国から入ってきた「外来語」、そして日本で生まれた「大和言葉」が入り乱れています。 p.6

 この通り、ごく一般的な使われ方である。

 さて、ひどいのはこの本だけではない。上で述べたように、最近1年くらいの間に出た「大和言葉」関連本は、大半がそうである。そして、本だけでなく、「大和言葉ブーム」を取り上げたネット上の記事も同様に滅茶苦茶な代物ばかりである。
 大部にはなりづらいニュース記事やブログ記事ゆえ、挙げられる実例も少なく、そのため漢語が列挙されることも少ないのだが、それでも「大和言葉」について明らかに誤解している記事は珍しくない。軽く検索してみただけでも、以下のようなものを見つけることができる。

「マジヤベー!」に疲れたあなたは、以下の書籍を読んでみてはいかがでしょうか。

大和言葉の言い換え一覧!ズムサタで紹介され話題に

 「マジヤベー」はれっきとした大和言葉だ。

「待っています」よりも「心待ちにしています」の方が、言われた相手は嬉しく感じられるもの。

このように、大和言葉はコミュニケーションを手助けしてくれる言葉です。

大和言葉とは?日本人なら知っておきたい美しい日本語です

 「待っています」も、「心待ちにしています」も、どちらも大和言葉だ。

たしかに、美しい言葉は耳に心地がいいいが、私たちが日常で大和言葉を多用するのは口幅ったいような気も。

話題の大和言葉 「先刻」を「いましがた」にすれば印象変わる

 むしろ、漢語を多用する方が口幅ったく聞こえる。「失念と言えば聞きよい物忘れ」という川柳に代表されるように、漢語には小難しい、専門的、高級、衒学的というイメージがあるからだ。

 繰り返すが、「大和言葉」というのは、決して美しい言葉のことではない。大和言葉で下品な発言だっていくらでもできるのだ。それこそ、「くそじじい、くたばりやがれ!」だって立派な大和言葉だ。

一人称は幼稚ではない


 「最近のライトノベルは一人称文体ばかり」という主張をよく見かける。
 ここでは、その真偽は問題にしない。問題にしたいのは、それが批判・悪口として使われる節がある点だ。
 以下に引用した例を見ればわかるように、「一人称文体ばかり」なのがあたかも悪いことであるかのように語る人が目立つのだ。

「ライトノベルは一人称文体で書かれているもの」…というイメージがあるそうです。
(中略)
ともあれ、そういうことですので今後は「ライトノベルは一人称文体ばかりだ」なんて言わないであげてくださいね。よろしくお願いします。

「ライトノベルは一人称文体ばかり」が本当か調べてみた

「ライトノベルは一人称文体ばかり」が本当か調べてみた - WINDBIRD

やっぱり最近のラノベ語り者の偏見だっただけだという。おつかれさまです。(しかしここまでやってもセレクトが恣意的なんじゃないのとかいちゃもんつける人があらわれるに一票)

2016/08/12 20:02


 どうも、「一人称文体は三人称文体より幼稚」という偏見でもあるらしい。

 では、本当に一人称文体は三人称文体より幼稚なのだろうか?続きを読む

古文・漢文は高校の授業科目から外すべき!


 古文・漢文は高校の授業科目から外すべき! (古文・漢文板

1 名前: 名無氏物語 投稿日: 2011/11/03(木) 13:06:38.61 ID:nB5Q5pT3.net
古文・漢文は実学からかけ離れすぎている。
こんなものを全員に覚えさせて、日本の将来を担う若者の貴重な時間を割いていては、
今後の経済戦争で外国に負けるのである。

やるとしても、高校授業や大学受験の内容からは大幅に内容・配点を縮小すべきである。
やりたいヤツは大学の専門課程の中でやれば良い。

授業科目群の内容を見直すべきである

 高校生の時、古文の授業で、福沢諭吉の「学問のすすめ」の初編を読まされた。「学問のすすめ」初編は実学の重要性を説いた文章であり、そこでは、古文は非実用的として退けられている。

 学問とは、ただむずかしき字を知り、解し難き古文を読み、和歌を楽しみ、詩を作るなど、世上に実のなき文学を言うにあらず。これらの文学もおのずから人の心を悦ばしめずいぶん調法なるものなれども、古来、世間の儒者・和学者などの申すよう、さまであがめ貴むべきものにあらず。古来、漢学者に世帯持ちの上手なる者も少なく、和歌をよくして商売に巧者なる町人もまれなり。これがため心ある町人・百姓は、その子の学問に出精するを見て、やがて身代を持ち崩すならんとて親心に心配する者あり。無理ならぬことなり。畢竟その学問の実に遠くして日用の間に合わぬ証拠なり。

学問のすすめ

 では、実用性がないにもかかわらず、なぜ古文を学ぶのか。その時の先生の言葉は、それは教養のためだというものであった。何となくごまかされたような気分はしつつも、その時は一応納得したのだが、大人になった今思い返してみると、やはりごまかされたとしか思えない。続きを読む

「ぽりちかる・これくとねす」という欺瞞


 あれ?


 たしかポリコレの命題のひとつに

「個々の事例(犯罪や不祥事)があったからといって、それを『○○国』や『○○国人』に一般化するのは、ポリティカルコレクトに反する」というのがあったような、なかったような。

 紳士と淑女(おっと、もちろん両性に限定せず、トランスジェンダーの方なども含みます)の集う良識の府、「はてなブックマーク」に、よもやそういうものがあるはずもなく…

(中略)

しかし削除されていないから、ここに反しているわけではない。

もし反していると思うなら、はてなに連絡してみごと削除させてみよ…と。


どうなんでしょうね。

一雑誌「シャルリー・エプド」掲載の漫画批判…ではなく、そこから一般化して「フランス人」「フランス」批判をすることについて

 これは目新しい問題ではない。このブログでも、すでに2回取り上げている問題である。
 結論から言えば、現代の日本では、西洋人という属性の悪口や戯画化は大っぴらに認められている。不良少年を「アメリカ人」と呼んだり、日本人が古代ローマ人を演じたり、イギリス人を嘘つきの代名詞にしたり、モルドバ人を三枚目として描いたりしても、特別糾弾されたりはしない。だからこそ、「紳士淑女の集う良識の府」であっても、フランス人の悪口が当たり前にまかり通るのだ。続きを読む
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