学問がすべて

つまらないは正義

大事なのは授業

 先日、興味深い記事を見つけた。

 生徒会のすすめ - 高校生が学校と闘う武器

 高校の生徒会活動が停滞しているのは、生徒が無気力で、自主的な行動など面倒臭いと思っているから――上のリンク先ではそのように主張している。だが、私はそれだけだとは思わない。高校の生徒会活動が停滞しているのは、生徒にとって、学校の自治などろくに価値がないからだ。

 以下、自分の高校時代を思い出して書く。

 高校生には授業が終わったらすぐに帰宅する人も多い。このような生徒にとって、生活の中心は学校ではない。学校は授業を受けるためだけに通う場所にすぎない。
 部活、生徒会、各種行事……。学校案内や卒業アルバム、さらにはフィクションで好んで取り上げられるこれらの要素も、学校中心でない生活を送る生徒にとっては優先度の低いものなのだ。

 そもそも、生徒会には何ができるのか。リンク先から引用してみる。

そんな僕の生徒会時代の成果は、文化祭実行委員会の組織図を変更したりだとか、同好会や部活の成立要件を緩和したりとかだった気がします。

そこで見たものは、制服の指定を緩和したり、生徒会役員の任期や選挙の時期を変更したり、文化祭で模擬店を出せるように規則を変えたりなど、地味なものが多かったように思います。

 地味以前に、どうでもいいことばかりだ。少なくとも、学校中心でない生活を送っている生徒にとっては。

「私の問題」ではなく「私たちの問題」=「共同体の問題」に、「偉い人」が上から解決していくのではなく、末端メンバーの立場から解決していく姿勢は、今後ますます求められてくるでしょう。

 そもそも、「私たちの問題」ではないのだ。ごく一部の生徒にとってのみ重要な問題、すなわち、大半の生徒にとっては「私たちの問題」に見せかけた「他人の問題」なのだ。
 よしんば、「私たちの問題」だとしても、その当事者はすぐに卒業してしまう。一方、天下り的に恩恵を受ける後輩にとっては、見も知らぬ「偉い人」(=OB)が親切にも自分たちの問題を先回りして解決してくれたことになる。結局、どちらにとっても「自分たちのことは誰かに決めてもらうのではなく、自分たちで決めていく」ことにはならない。
 それ以前に学校は共同体じゃないし。利益社会だし。

 高校生にとって本当に重要な問題は、授業、さらには進路である。この点だけは、生活が学校中心であろうとなかろうと変わらない。
 だが、それらは生徒が団結することで解決できるものではない。個人レベルで解決できるものか、あるいは政府レベルで解決すべきものだ。例えば、成績のよしあしなどは前者、学校のカリキュラムや大学入試のシステムは後者だ。個人的な問題に他人を巻きこむべきではないし、また、未成年には参政権がないから、政府レベルの問題についてはどうしようもない。

 繰り返すが、学校でいちばん大切なのは授業だ。それ以外はおまけのようなものだ。カリキュラムに口出しできない生徒会活動など、所詮そのおまけの一部、自治ごっこにすぎない。

ニューエクスプレス アイヌ語

 ニューエクスプレス アイヌ語 《CD付》

 とうとう今月、白水社から「ニューエクスプレス アイヌ語」が発売される。内容は完全リニューアル。しかも、旧バージョンの千歳方言ではなく、沙流方言を取り扱っている。旧版を持っている人でも買う価値がある本だ。

 アイヌ語の学習環境は、決して貧弱なものではない。それでも、アイヌ語の新しい教材が出るというのはそうしばしばあることではない。実にめでたい。

ライトノベルの主人公の学年 その3


 先日、ニコニコ大百科を見ていたら、掲示板に以下のような書きこみがあったのを見つけた。

42 : ななしのよっしん :2012/10/02(火) 00:22:29 ID: 5dNL2u517k
後輩、先輩が両方出せるから学園モノのギャルゲ、エロゲ、ラノベあたりは大抵主人公は17歳だよね

17歳について語るスレ

 だが、実際はそうではない。ギャルゲやエロゲには詳しくないので言及は避けるが、ラノベの場合、主人公は17歳(≒高2)より15~16歳(=高1)の方が多いのだ。続きを読む

濁音

 【名付け】濁音が姓も名もつくのはどう思われますか?

 相談者はともかく、回答者の知ったかぶりには怒りすら覚える。ガセビアを垂れ流さないと死ぬ呪いにでもかかっているのだろうか。

 濁音というのは、要するに有声子音のことである。だが、有声子音がすべて濁音というわけではない。[m]や[n]、[r]も有声子音だ。だが、日本語では対立する無声子音が使われないため、ナ行やマ行、ラ行が濁音扱いされない。ただそれだけである。
 語頭の濁音が「汚い音」に感じられるのは、発言者が日本語話者だからであるにすぎない。古代、中央語では、和語に濁音始まりの自立語がほとんどなかった。濁音始まりの自立語は基本的に地方語にしかなかったことから、「濁音始まり=田舎くさい、汚い」という感覚が生まれたのである。一方、語中に濁音が現れる語は「かず」、「かぜ」、「すず」など、昔から当たり前に存在している。そのため、語中の濁音は汚いものとはされてこなかった[1]

659: 名無しの心子知らず 2013/09/26(木) 17:21:55.00 ID:Hx0tRdmt

そりゃ、女の子なら濁音はない方がいいに決まってるだろ
濁音混じりなんて響きがキッタナイじゃん
天地(あまち)と馬場地(ばばぢ)のどちらがより響きが綺麗か、どちらが女性らしい苗字か
なんて聞かれたら99パーセントの人は天地と答えるよ
苗字は持って生まれたものだからしょうがないけど、名前は好きに決められるてのに、
それなのに女の子に濁音混じりの名前好き好んで付けるなんてどうかしてるよ

 例が悪い。この場のテーマは「濁音始まり」ではなく「濁音まじり」なのだから、語頭に濁音がある「馬場地」ではなく、「鈴木」や「風間」などの、語中に濁音がある名字と比べるべきだ。
 上述の通り、日本語話者にとって汚いと感じられるのはあくまで語頭の濁音だけなのである。

663: 名無しの心子知らず 2013/09/26(木) 17:59:31.45 ID:g/y/kp5x

全く日本語の知識のない外人に
ミツキとミヅキ、ナギサとナキサの聴き比べをさせると
濁音なしの方に柔らかい印象、清らかな印象を持つらしい

 この人の言う「外人」というのは、一体どこの国の人のことなのだろうか。例えば、中国語(普通話)では、そもそも破裂音破擦音の有声無声を区別しない[2]。また、スペイン語話者は、日本語話者とは反対に、「無声音は重くて強く、有声音は軽くて弱い」と受け止めることが多いという[3]

668: 名無しの心子知らず 2013/09/26(木) 18:57:04.72 ID:BKpaGD7n

>>663
外人こそ名前が濁ること多いのにw
ジェーン、ジュリア、エリザベスetc
音だけ比較したらそりゃ濁音がある方が硬い印象に聞こえるかも知らんが、
だからといってそれを名前として女児に付けるのを、大方の人が避けるなんてことにはならないよ。
理由も迷信だし、現状として濁点のつく名前の女性がこれだけいる以上、
あまり一般的な常識とも思えない。
みつきよりもみずきの方が、なきさよりもなぎさの方が
人名として耳馴れていてよい名前だと、個人的には思うけどね

 どうも、この人の頭の中では、「外国=英語圏」のようである。

669: 名無しの心子知らず 2013/09/26(木) 19:20:58.29 ID:uV88BgsG

ちょ、、、、、外国人の名前で濁音とかやめようよ。恥ずかしい。

た→だ
さ→ざ
を「濁点がつく」「濁音」というけど、平仮名に点々がつくだけで、音はt→d、s→zとなるだけ。
大まかに言うと、dもzも破裂音。
ちなみに日本語でカキクケコに使うk
も大まかに言うと破裂音。
表記として濁点はつくけど、そもそも「濁ってる音」というものはありません。

漢字で表せる名前なら見た目に濁点がつくわけでもないし、字も音も濁ってないというわけですわ。

 言いたいことはわかるが、用語の間違いはそれだけで説得力を損ねる。zは破裂音ではない。[dz]ならば破擦音、[z」ならば摩擦音だ。

672: 名無しの心子知らず 2013/09/26(木) 20:02:54.79 ID:n9i5uHoA

>>669
>表記として濁点はつくけど、そもそも「濁ってる音」というものはありません。

まるで分かってないな
音に濁りを感じて聞きにくいこくそ点々の付く字を濁音といい
点々も丸も付かない、小さくもならない字は、澄んだ響きだからこそ清音というんだよ


 丸っきりでたらめである。
 まず、清音と濁音、直音と拗音はそれぞれ全く別のものである。字が小さくなろうと、清音は清音だ。
 また、pを「半濁音」として清音と区別するのは、日本語固有の事情にすぎない。pはあくまで無声音。kやsやtと同類だ。
 ついでに、日本語話者とスペイン語話者では有声音と無声音の受け取り方が正反対というのは、すでに述べた通りだ。
 669に対するレスなのだから、当然672も外国人の名前を多少なりとも意識しているはずだ。それでいてこの発言。世界70億人が皆日本語を話し、仮名を使っているとでも勘違いしているのだろうか。


[1] 「日本語 新版 上」 金田一春彦 岩波新書
[2] 摩擦音はそうとも限らない。rは、摩擦音sh[ʂ]の有声音[ʐ]で発音されることもある[4]
[3] 「スペイン語の贈り物」 福嶌教隆 現代書館
[4] Standard Chinese phonology

アイヌ語はどんな言語か

 アクセス解析を見てみると、「アイヌ語+○○」という検索語で来る人が多いことがわかる。

 だが、このブログにはアイヌ語の現状や背景についての記述はあったものの、言語そのものについてはろくに記述はなかった。そんなブログが検索結果上位に来るというのも情けないが、それはさておき、このエントリーではアイヌ語という言語そのものについて書いてみたい。

 さて、そもそもアイヌ語はどんな言語なのか。
 一言で説明すると、日本語とは全く異なる言語である。北海道弁の一種などではない。
 母音がアイウエオの5つだったり、語順がSOVだったりという些細な共通点だけを見て、日本語に似ていると早とちりする方がいらっしゃるかもしれないが、どちらも世界でははなはだありふれたものであって、日本語とアイヌ語ばかりに共通するものではない。

 アイヌ語の学習を始めて、最初に感じる日本語との隔たりといえば、やはり文法だろう。例えば、学習を始めたその日から、人称接辞という日本語にも英語にもない概念と向き合うこととなるのだ。実際、「エクスプレス」でも、第1課から早速ku=とe=という接辞が登場する。
 人称接辞とは、動詞の前後につけて主語や目的語を示すものである。動詞の人称変化という点だけ見れば、例えば欧州諸言語などにも同じようなものがみられるが、アイヌ語の人称接辞には、主語だけでなく目的語をも示す、自動詞と他動詞とでつく接辞が異なるという特徴がある。さらに、人称接辞には、名詞の前において所有表現を作るという機能もある。以下、例を示す。

 wakka ku=ku. 私は水を飲む。
 wakka ci=ku. 私たち(聞き手を含まない)は水を飲む。
 ku=ma. 私は泳ぐ。
 ma=as. 私たち(聞き手を含まない)は泳ぐ。
 tek 手
 ku=teke(he) 私の手

 wakka 水
 ku 飲む(他動詞)
 ma 泳ぐ(自動詞)
 tek 手

 以上の例を見ていただければわかるように、一人称単数を表す人称接辞は自動詞でも他動詞でもku=だが、一人称複数を表す人称接辞は、自動詞では=as、他動詞ではci=となる。また、tekは、所有表現においては所属形teke(he)となる。

 以上、アイヌ語の人称接辞について簡単に触れてみたが、詳しい文法についてもっと知りたい方は、5月19日の記事でお薦めした本などを見ていただきたい。

 さて、実際に行われはしなかったものの、北海道の小学校で、総合的な学習の時間にアイヌ文化体験のカリキュラムを設け、その中で簡単なアイヌ語を教えようというアイディアがあったらしい*。日本語の方言学習と絡めて……ということだが、そもそもアイヌ語は日本語と全く違う言語なのだから、地元の方言を聞く感覚で触れるというのは大分無理がある。


* 第4学年アイヌ文化学習案<総合的な学習>
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